【豊臣兄弟!】信長の葬儀「秀吉vsお市」の真相!秀吉より先に行われた“本当の法要”の謎:3ページ目
秀吉より先にお市や乳母が百箇日法要を行なった
民衆の度肝を抜く豪華絢爛な織田信長の葬儀は、「亡き主君の仇を討ち葬儀のプロデュースもした」ということで、秀吉の大きな宣伝になったことでしょう。
ただし、この前に、秀吉よりも早くお市などが法要を行なったそうです。
妙心寺の住持・月航和尚が記した『月航和尚語録』には、お市や信長の乳母だった女性が、秀吉よりも早く百箇日法要や卒哭忌を行なったという記録が。
例えば、秀吉の葬儀よりも早い9月頃にお市が百箇日法要を、また別の日には池田恒興の母である養徳院が供養したと思われる記述が残っているそうです。
お市が、なぜ妙心寺を選んだのかに関しては、夫・柴田勝家が勧めたとされています。
妙心寺は臨済宗の大本山で、京都の有力寺院。柴田勝家や織田家との何らかの縁があったのかもしれませんが、一次史料で具体的な理由に触れたものはないようです。
京都の阿弥陀寺に残る逸話では
京都市上京区にある阿弥陀寺では、玉誉清玉が本能寺の変で信長が自害したあとに「寺に赴いて信長の遺灰を持ち帰って墓を築いた」という説も伝わります。(『信長公阿弥陀寺由緒之記録』)
さらに、二条新御所で亡くなった織田信忠の遺骨も回収して、信長の墓の横に墓を作ったそう。
阿弥陀寺の墓所には織田信長、織田信忠、森乱三兄弟ほか討死した犠牲者の墓もあります。

