織田信長=冷酷 はポルトガル宣教師の偏見?“冷酷な暴君”のイメージを覆す驚きの「追放処分」と合理的人事:3ページ目
伝説と史実
信長の性格を表す話として有名なのが、信長・秀吉・家康のホトトギスの三句です。
信長は鳴かないなら殺し、秀吉は鳴かせ、家康は鳴くまで待つという対比ですが、これは本当は三人がそれぞれ詠んだ句ではなく、江戸時代後期の『甲子夜話(こうしやわ)』に載った創作です。
あの三つのホトトギスの句は、内容とその対比が秀逸すぎて、信長の誤ったイメージを広める結果になったと言えるでしょう。
また、明治時代にアメリカへ渡った教育学者の新渡戸稲造が『武士道』で強調した主君への忠節も、後世に作られた武士像を考えるうえで重要です。
こうした話が重なることで、信長には怒りやすく、部下をすぐ殺す人物という印象が定着した可能性があります。しかし、史実として確認できる家臣への処分だけを見ると、単純な人物像にはなりません。
信長の処分が厳しかったことは確かです。佐久間信盛のように高野山へ追放された家臣もおり、失敗すれば大きな代償を払うことになりました。
一方で、秀吉、光秀、勝家のような人物を登用し、それぞれの能力を大きく伸ばしたことも事実です。厳しさと人材活用は両立していたと考えられるでしょう。
信長は厳しい主君でしたが、非情な主君だったとは限りません。残された事実から見るなら、信長は人材を使い切ることを重視した、合理的な戦国大名だったと見るほうが自然でしょう。
参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
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