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【豊臣兄弟!】討ち死にした与一郎には「8歳の妻」がいた!劇中では描かれなかった裏の史実と波乱の生涯

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きらず粥(がゆ)の習慣

夫婦円満、多くの子供に恵まれて、お岩は幸せだったのでしょうか。どんな家庭でも悩みはあるように、彼女にもまた悩みがありました。

夫の忠政は何かにつけて人を斬るor斬らせることが多く、お岩はそんな夫の姿に心を痛めていたようです。

そこでお岩は年末大晦日になると、雪花菜(おから)で「きらず粥」を作り、家族みんなで食べました。

きらずとは雪花菜の別名で、雪花菜は大豆の搾り滓ですから、包丁を使わずに調理できます。

何も切らずに出来上がる「きらず粥」に、誰も斬らずに1年を終えられるよう願いを込めたのでした。

これを知った忠政は、少しは人斬りを控えようと思ったのでしょうか。

死後も領民たちに慕われる

子供たちに慈愛を注ぎ、夫にも慈悲を求めたお岩は、慶長12年(1607年)5月3日に33歳という若さで世を去ってしまいました。

法名は智勝院殿月桂宗清大禅定尼(ちしょういんでん げっけいそうしん だいぜんじょうに)。龍雲寺(現在は本源寺。岡山県津山市)に葬られ、その初盆には盛大な万灯会が催されたそうです。よほど人々から敬愛されていたのでしょうね。

その習慣は、忠政の50回忌を迎える天和3年(1683年)まで、76年間にわたって毎年続けられたのでした。

終わりに

今回は羽柴与一郎の妻となったお岩(智勝院)について、その生涯をたどってきました。

物語の都合上、割愛されてしまいましたが、魅力的な人物だったようです。どこかの作品で登場しないか、楽しみにしています。

※「豊臣兄弟!」関連記事:

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※参考文献:

  • 黒田基樹『羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書、2025年5月
  • 柴裕之『シリーズ・織豊大名の研究 14 豊臣秀長』戎光祥出版、2024年11月

※トップ画像:NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式Xより

 

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