対話がダメなら殺し合い!戦国時代の農民はガチで武器を持っていた…秀吉が発した“喧嘩停止令”とは?:3ページ目
徳川時代の喧嘩停止令
喧嘩停止令は徳川政権下においても受け継がれ、江戸幕府の第2代将軍・徳川秀忠が慶長15年(1610年)に発したものが残されています。
郷中にて、百姓等、山問答・水問答につき、弓・鑓・鉄砲にて、互いに喧嘩いたし候者あらば、その一郷を成敗いたすべき事
【意訳】村の中で山争いや水争いが起こり、弓・槍・鉄砲で武力行使に及んだ者がいた場合、村の全員を処刑する。
……いわゆる連帯責任ですが、かなり厳しいですね。しかし刀は規制の対象外なのか、明記されていません。
要は喧嘩に飛び道具や長物を持ち出すな、ということでしょう。
こういうお達しを聞いて、石礫(つぶて。石を投げつける)や鉞(まさかり)なんかもダメなのか、何とか規制をかいくぐりたくなってしまうのは人情というものです。
また鍬や鎌、鉈(なた)などの農具は許されたのでしょうか。
「……そもそも喧嘩をするな。どうしてもするなら素手でしろ(できれば非暴力で)」当局が頭を抱える様子が目に浮かぶようです。
しかしあまり守られていなかったのか、寛永12年(1635年)に第3代将軍・徳川家光が改めて喧嘩停止令を発しました。
井水・野山領境などの相論つかまつり候時、百姓、刀・脇指をさし、弓・鑓をもち、まかり出るにおいては、曲事(くせごと)たるべき事
【意訳】水争いや山争いなどで争論が発生した時、農民が刀・脇指・弓・槍などで武装した場合は罪に問う。
付けたり、何ごとによらず、百姓、口論をいたし候時、他郷より荷担せしめば、本人よりその科(とが)を重くすべき事
【意訳】追加。いかなる理由であれ、争論に加担した者は、当事者よりも重い罪に問う。
……一村全員処刑の規定は廃止されたのですね。鉄砲に関しては規制が進んだのか、明記されなくなりました。
また主犯よりも従犯の罪を重くすることで、抗争の規模拡大を防ぐ狙いがうかがえます。
何より罪の軽重を問うということは、処刑一択ではなくなったようです。泰平の世が安定し、人々もそうそう武力蜂起などしなくなっていたのでしょうね。
終わりに
今回は秀吉が発した喧嘩停止令について紹介してきました。
具体的な内容については、恐らく徳川時代と同様か、あるいはそれより厳しかったのかもしれません。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、喧嘩停止令が言及されるのか、またどのように発せられるのかに注目です。
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※参考文献:
- 藤木久志『刀狩り -武器を封印した民衆-』岩波新書、2005年8月


