『豊臣兄弟!』で描かれた織田信長の道普請は史実?信長が実施した街道整備の施策を紹介:2ページ目
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息子たちの道路施策は?
こうした信長の施策思想は息子たちにも受け継がれたようです。
長男の織田信忠は天正4年(1576年)の朱印状で道路を3種類に分類しました。
- 本街道:三間二尺(約5.7メートル)
- 脇街道:二間二尺(約4.0メートル)
- 在所道:一間(約1.7メートル)
また両脇に高さ三尺(約90センチ)の盛土をし、そこに松と柳を植えさせます。そしてもし植えた木が枯れてしまったら、地元の者が植え替えるよう命じました。
次男の織田信雄は天正18年(1590年)1月に、小田原征伐のため路幅五間(約8.6メートル)もの街道整備を命じます。
これは通常を大きく超える街道を整備することで、自身の威信をアピールしたかったのでしょう。
しかしこの無茶ぶりに対して地元から猛反発を受けたらしく、翌月には三間(約5.1メートル)でよいと訂正しています。
いらん見栄を張るんじゃない。そういうとこやぞ。あの世から、信長のツッコミが入ったかもしれませんね。
終わりに
今回は信長の道路施策を紹介してきました。古今東西、道路は日常生活だけでなく、様々なものを行き交わせた社会の動脈と言えるでしょう。
第28回放送「急げ!秀吉」では中国大返しが描かれましたが、これも日ごろから街道整備を徹底してきたことが活きたと考えられています。
道路を制する者は天下を制する。信長から受け継がれた思想と精神が、秀吉の天下獲りを実現に近づけたのではないでしょうか。
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※参考文献:
- 盛本昌広『増補新版 戦国合戦の舞台裏 兵士たちの出陣から退陣まで』洋泉社、2016年9月
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