朝ドラ『風、薫る』黒川医師と“運命の再会”…りんの実在モデル・大関和が再び看護婦に戻った理由:4ページ目
高田での「運命の再会」が再び看護の道へ
そんな時、大関和は高田の町で、偶然にも第一医院で共に働いていた医師・瀬尾原始(ドラマでは外科助手・黒川勝治(平埜生成))と再会します。
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退職時は、「目の上のタンコブ」だった和に冷たくする男性医師が多いなか、瀬尾は最後まで態度を変えることなく接してくいたそうです。
ドラマでも、看護取締のりんとともに学生たちの講義を担当していた、黒田医師。りんの熱血教師ぶりに苦笑はしつつも、一生懸命なりんを評価していたようでしたね。
原案伝記小説によると、瀬尾原始は、養父が『知命堂』という医院を開業していたものの引退したので、後を継ぐことになり高田に戻ってきていました。
養父・瀬尾玄弘は元高田藩医で、明治4年に同病院を開いたのでした。
以前は平屋の医院だったのですが、解体され洋館となり『知命堂病院』の看板がかかっていました。
和は、原始に案内されるまま新築病院の内部に入ると、最新の医療設備が揃っていたとか。きっと胸はワクワクして目を輝かせながら病院内を見学したのではないでしょうか。
原始曰く、「全国から一流の医師らが赴任してくることも決まった」そうです。
病院勤務時代から、和の看護婦としての能力を高く評価していた原始は、「この病院の看護婦長になって欲しい」と頼みました。
原始は「いずれは看護婦養成所もつくりたい。医大病院時代のあなたがたの働きを見ていて専門的な教育を受けた看護婦の必要性を感じた。あなたには養成所の教員もして欲しい」。
“女のくせに、たかが看護婦のくせに”という遅れた考えは持たず、先見の明があった、原始。(さすが、黒川先生!)
「ぜひやりたい!」と思った和も、「わたしにはもったいないお話」と頭を下げその場は去りました。
けれどでも、すぐに車を拾い高田女学校に出向き「退職したい」旨を申し出たのでした。さすがは、思い立ったらすぐに行動する和らしい。
実は、和の看護婦としての能力を高く評価していたマリア・T・トゥルーは、もともと「大関さんは、急に看護婦に戻る可能性がある」と、学校側に伝えてくれていたそうです。
知命堂病院にて看護婦長・大関和が誕生
明治24年(1891)11月29日、新潟県の高田町に新設された知命堂病院では開院式が行われて、和も祝辞の挨拶を行なっています。
また『新潟新聞』(現在の新潟日報)での知命堂病院の広告には、院長・瀬尾原始以下、内科・外科・産婦人科・眼科の医師らとともに看護婦長・大関和も紹介されたそうです。
知命堂病院公式HPでは、知命堂病院長瀬尾原始と初代看護婦長大関和を「二人の恩人」という動画で紹介しています。
ドラマの中でも、再び瀬尾原始をモデルにした黒川医師と再会したりん。一方、直美は何度も訪問看護を経験し自身の母を看取った経験から、病院を辞めて大山捨松に背中を押されて「派出看護の会」を作るようです。
まさに、この明治23頃は、和は看護婦長・雅は派出看護の道を選んで、新しい道を切り開いていきます。
今後、どうのこの運命の再会がどのように描かれていくのか楽しみですね。
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参考:
日本医史学雑誌の「明治 24 年濃尾地震における東京慈恵医院の救護・看護活動」
明治のナイチンゲール 大関和物語 田中ひかる



