朝ドラ『風、薫る』黒川医師と“運命の再会”…りんの実在モデル・大関和が再び看護婦に戻った理由:3ページ目
大地震発生で全国の看護婦が救護に向かう
そんなとき、明治24年10月28日午前6時37分、岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方を中心とした『濃尾地震』が起こりました。
震源地は本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)。地震のエネルギーはマグニチュード8.0、世界でも最大級の内陸直下型地震だったそうです。
阪神・淡路大震災(1995年1月17日)がマグニチュード7.2、関東大震災(1923年)が同じく7.9だったそうなので、比較するといかに大規模な地震であったかが想像できます。(岐阜県公式HP)
激震地域は岐阜県の美濃地方を中心に、愛知県尾張地方・滋賀県東部・福井県南部に及んだそうです。
死者は全国で7,273人、全壊・焼失家屋142,000戸という大きな被害となりました。
明治24年当時、パソコンどころかテレビもラジオもない時代。大関和は、この災害を新聞で知ったのでしょうか。
原案小説によると、和は、日赤・慈恵看護婦教育所・京都看病婦学校などで学んだトレインドナースたちが、一斉にけが人や病院の救護に向かう話を知り、「今すぐにでも看護婦の一員に加わり、一人でも多くの患者を助けたい」という思いが高まったそうです。
実際、日本医史学雑誌の「明治 24 年濃尾地震における東京慈恵医院の救護・看護活動」によると、
〜東京慈恵医院による看護婦派遣数は救護団体中最も多い 20 名……近代的な看護婦を訓練した東京慈恵医院看護婦教育所の卒業生たちであった。
これらの訓練を受けたトレインドナースによる救護活動は現地にも影響を与え、震災後、岐阜県立病院の看護婦養成の契機ともなっている〜
とあります。
動画でその様子をリアルタイムに観られることはできない時代でも、新聞などで大規模災害の被害状況を聞いたら、何もかも放り出して救護に駆け付けたかったことでしょう。
ドラマのりんと同様、思ったら即行動するために突っ走る性格だった和。
きっと「やはり、看護婦の仕事に戻りたい」という思いが強くなったのだと思います。(ドラマでは、この大地震は描かれるかどうかはわかりませんが)

