究極の自己犠牲!戦国時代の忠義「将替(しょうがわり)」とは?主君の身代わりとなり命を捧げた武士たち:2ページ目
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将替の事例〜戦国時代〜
家臣が主君の身代わりを買って出る将替は、戦国時代においても行われていました。
例えば中国地方の覇者となった毛利元就は、天文12年(1543年)に敗走する際、家臣の渡辺通が元就の甲冑を着て討死しました。
また元亀3年(1572年)に三方ヶ原の合戦で敗れた徳川家康の身代わりとして、数名の家臣が身代わりを買って出ています。
家康の甲冑を着て迫りくる武田軍に突入した松井忠次や、同じく采配を奪い取った鈴木久三郎などの逸話は有名でしょう。
彼らは生還を果たした一方、夏目次郎左衛門は壮絶な最期を遂げました。
後世「家康の三大危機」に数えられたと三方ヶ原の合戦では多くの家臣が将替を行っていますが、これは家康の人徳をアピールする創作の可能性も指摘されています。
他にも天正11年(1583年)の賤ヶ岳合戦では、毛受勝照(めんじゅ かつてる)が金御幣の馬印を借り受けて、柴田勝家の身代わりに羽柴秀吉の軍勢へ斬り込みました。
そして天下分け目の関ヶ原合戦では、島津義弘の身代わりとして、島津豊久や阿多盛淳らが迫り来る十数万の東軍を食い止めて討死します。
彼らは主君の無事を願い、そして再起を果たす日を確信しながら戦場に散華したことでしょう。
終わりに
今回は「将替」について、その意味や事例を紹介してきました。
一時かつ命と引き換えではあっても、大将を名乗れることは、武士として大変な名誉であったことでしょう。
これからも武士たちの精神にふれ、その生き様を紹介していきたいです。
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※参考文献:
- 鈴木眞哉『戦国史の怪しい人たち 天下人から忍者まで』平凡社新書、2008年5月
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