【豊臣兄弟!】実は本能寺の変の“黒幕級”だった?明智光秀(要潤)の右腕・斎藤利三(内藤剛志)の生涯:4ページ目
捕縛され洛中引き回しのうえ六条河原で斬首
斎藤利三は本能寺の変の後、洞ヶ峠に陣を敷き追手を警戒しました。
ところが、敵討のために中国遠征を中断し、猛スピードで羽柴秀吉軍が追ってきたので、光秀に急いで居城であった「坂本城(滋賀県大津市)に入り、戦闘体制を敷くよう」に進言します。(※)
けれども、光秀は聞き入れずに全軍を山崎に集結して、羽柴軍を迎え撃つよう命じました。(「山崎の戦い」)
山崎が淀川に挟まれた幅の狭い地形のため、縦長になり進軍してくるであろう秀吉軍を迎え撃つ作戦でした。
本能寺の変から11日後、6月13日、山崎の地に到着した豊臣秀吉軍の数はおよそ40,000人で、明智軍は約16,000人。雨降りしきる中で始まった戦いは、短時間で勝負がつき、ここに明智光秀の短い天下は終わったのでした。
明智光秀は、夜更けに妻子がいる坂本城を目指すも、山科小栗栖にさしかかった時、落武者狩りに遭遇、竹薮から突然突き出された竹槍に刺され重傷を負い、その場で自刃して果てました。
斎藤利三は戦場を逃れて潜伏しつつ逃亡生活をするも、秀吉軍の捜査網により戦いからわずか4日後に捕縛されます。
そして、洛中を引き回された後に六条河原で斬首されました。利三の遺体と光秀の遺体は見せしめとして粟田口にさらされたそうです。
※『太閤記』の著者、小瀬甫庵は、このとき光秀が斎藤利三の提案を聞いて坂本城に戻って戦っていれば、違った展開になっていただろうと、利三を評価していたそう。
利三の遺体は親友が奪還!父の無念は娘が果たす
処刑後、斎藤利三の親友で、建仁寺方丈『雲龍図』で知られる絵師・海北友松が、京都の真如堂東陽坊の住職・東陽坊長盛と共に、処刑場に長槍を持って侵入しました。
目的は斎藤利三の遺体の奪還。二人は槍で番兵を追いやり、遺体奪還に成功。真如堂で遺骸を手厚く葬りました。
今でも、真如堂には東陽坊長盛・海北友松・斎藤利三の墓があります。
さらに、利三の娘「福」は小早川秀秋の家臣・稲葉正成の妻となるも、離婚して大奥に入ります。そして徳川家光の乳母となったうえ、それ以上の実権を握る人物となり老中をもしのぐ権力者「春日局」となりました。
謀反人として処刑され晒されるも、遺体を奪還して手厚く葬ってくれた男気と勇気のある親友と、父親に代わり立身出世を果たし天下を動かすほど権力を握った娘を持った武将・斎藤利三。
「豊臣兄弟!」ではどのように描かれるのでしょうか。
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参考:
明智光秀と斎藤利三 桐野作人
石谷家文書 将軍側近のみた戦国乱世 浅利尚民


