『豊臣兄弟!』宿老追放は信長の慈悲か粛清か?元親はジェンダーレス?安藤父子の最期…史料から第25回を考察:2ページ目
長曾我部元親はLGBTだった?
安土城完成の祝宴で舞を披露した男が能面を外すと、何とびっくり長曾我部元親。以前ちょっとだけ登場した土佐国(高知県)の戦国大名です。
幼少期はおっとりしていて、周囲から姫若子(ひめわご。お姫様)とからかわれており、初陣は23歳と当時の武士にしてはとても遅いものでした。
しかもその初陣ではぼんやりと敵を眺めていたそうで、見かねた家臣が槍の使い方と大将たる者の心得を説く始末だったと言います。
果たして教えを受けた元親は見事に敵を撃ち破り、以来「鬼若子」と賞賛されるようになりました。
これをキッカケに次々と敵を滅ぼして土佐一国の切り取りを達成。もはや姫若子などと笑う者はなく、元親は土佐の出来人(土佐が生んだ傑物)と呼ばれるようになります。
劇中では女性のような衣服を身にまとい、ずっとこうしていたいと小一郎に打ち明けていましたが、果たして実際の元親はどうだったのでしょうか。
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追放された宿老たち
森乱(市川團子)との相撲に敗れ、追放を言い渡された宿老たち。万が一彼らが相撲に勝ったら、信長はどうするつもりだったのでしょうね。
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ちなみに天正8年(1580年)時点で森乱は16歳、対する宿老たちは、林秀貞68歳・佐久間信盛53歳・安藤守就78歳でした。
もしこの相撲エピソードが実際に行われていたとしたら、若者が老人たちをなぶり倒す地獄絵図だったことでしょう。
ところで信長が宿老たちを追放した時の様子が『信長公記』に残されています。
……八月十七日 信長公大坂より御出京 京都に而御家老 林佐渡守 安藤伊賀父子 丹羽右近 遠国へ被追失子細は先年 信長公御迷惑の折節含野心申之故也……
※『信長公記』巻十三「佐久間林佐渡丹羽右近伊賀々々守事」より。
【意訳】天正8年(1580年)8月17日、大坂から京都に着いた信長は、家老の林佐渡守(秀貞)・安藤守就と安藤定治父子・丹羽右近(にわ うこん)を遠国へ追放した。その理由は以前に信長が窮地に陥った時、謀叛を企んだからである。
この謀叛については諸説あり、実際のところははっきりしていません。劇中では林と安藤が武田に内通し、佐久間が石山本願寺と内通した設定となっていました。
劇中では林と佐久間についてはその最期があっさりと描かれ、丹羽右近(丹羽氏勝)については言及されていません。ちなみに丹羽長秀(池田鉄洋)との血縁関係はないようです。



