『豊臣兄弟!』宿老追放は信長の慈悲か粛清か?元親はジェンダーレス?安藤父子の最期…史料から第25回を考察:3ページ目
佐久間信盛に向けられた信長の怒り
ちなみに佐久間信盛は劇中とは異なり、彼らと別に8月12日時点で追放が申し付けられました。厳密には折檻状(せっかんじょう)と呼ばれる糾弾文書が突きつけられたのです。
この折檻状は19ヶ条にわたる信盛の職務怠慢を論(あげつら)ったもので、それはもうボロッカスでした。原文は長いので、すごくざっくりと意訳します。
一、お前が5年間ずっと石山本願寺を攻略できないのは、敵と内通しているのではないか?
一、相手は坊主だからそのうち降伏するだろう、と怠けおって、まったくけしからん!
一、明智光秀・羽柴秀吉・池田恒興(堀井新太)が奮闘しておるのに、恥ずかしいと思わんのか!一、そうそう、柴田勝家(山口馬木也)も北陸で奮戦しておるぞ!
一、5年間も敵を攻めあぐねているのに、なぜわしに報連相すらせんのだ!
一、そろそろ怒られるかと危惧して、アリバイ的に報告をよこしても今さら遅いわい!
一、お前は織田家中でも特別待遇を受けてきたのに、それにあぐらをかきおって!
一、所領が増えたならば新たに家臣を召し抱えて奉公に励むべきところを、金銀を惜しんで私腹を肥やすとは言語道断!
一、またわしが紹介してやった家臣たちをすぐに追い出したのは、やはり奉公より金銀が大事なのだろうな!
一、お前が人材に投資せず、私腹を肥やしてばかりいるから今回恥をさらすことになったのだ。唐土・高麗・南蛮でも多くの者が同じ失敗を犯しているではないか。
一、以前に朝倉義景(鶴見辰吾)と戦った時にお前を叱責したら、お前は自己正当化ばかりして歯向かったため、わしは面目丸つぶれだ。
一、お前の嫡男である佐久間信栄(のぶひで)の傍若無人な振る舞いは数え切れない。これはひとえにお前の責任だ。
一、お前ら親子は強欲で偏屈で人材への投資を惜しみ、それで頭が切れるかと言えばデタラメばかりで、まったく武士失格である。
一、お前は自分の軍役を与力(信長に仕えている)たちに外注してばかりで、自己負担となる家臣を召し抱えない。そのため非常にコスパが悪いではないか。
一、信栄の横暴な態度に、周囲は誰ひとり何も意見できなくなってしまっている。この事態をどう言い訳するつもりだ。
一、お前はこれまで30年間わしに仕えたが、これと言った活躍は何一つしていないではないか。
一、お前が三方ヶ原の合戦で徳川家康(松下洸平)への援軍として駆けつけ、敗れたことは責めない。しかし同僚たる平手汎秀(ひらて ひろひで)を見殺しにしてほぼ無傷で帰ってきたことは許せない。
一、許して欲しければ、今すぐ敵を討ち滅ぼすか、どこでもいいから討死して面目を施すがいい。
一、それが出来ないなら武士などやめて出家し、高野山にでも行って命乞いをするがいい。
……とまぁこんな具合に信盛への恨みつらみが30年分、じっくりネチネチと責め上げられました。
しかし本当に30年間まったく何の働きもしなかったというなら、それをずっと放置していた信長の管理能力も、なかなかひどいものだったと言わざるを得ません。
ともあれ信長から折檻状を突きつけられた佐久間信盛は高野山へ移り、天正10年(1582年)1月16日に55歳で世を去ったのでした。
