織田信長も明智光秀も同じ参道に…高野山奥の院「20万基超の供養塔」に隠された祈りの正体:3ページ目
敵も味方も眠る、奥之院参道の20万基の供養塔
空海の霊廟に続く奥の院参道は、樹齢数百年という杉の古木、およそ1800本に覆われています。その杉木立の合間に20万基を超える供養塔が並び、厳粛で神秘的な時間が流れているのです。
そこに並ぶのは、時代も身分も宗派も異なる人々の墓石。特に戦国武将の墓所は参道を歩く人々の目を引きます。戦国・江戸期の大名家の墓は110家にものぼり、その数は全国大名の四割にもおよぶのです。
たとえば、織田信長や豊臣秀吉の墓。そして彼らと戦い敗れた明智光秀や石田三成の供養塔も。信長によって滅ぼされた武田家の供養塔には、武田信玄と勝頼が並び、さらに上杉謙信・景勝の霊屋も建っています。
これらの墓の多くは江戸時代初期に造立されました。その理由は、徳川家康が高野山を菩提所と定めたことで、諸大名がこぞって墓石を建立したためとされます。
さらに奥の院参道には、浄土宗を開いた法然の供養塔や、浄土真宗の開祖親鸞の霊屋まであるのです。命を懸けて争った敵も味方も、宗派も関係なく墓石が並ぶ光景は、何ものをも大らかに受け入れる真言密教の思想と、人々の弘法大師空海への信仰があってのことでしょう。
ちなみに、高野山への納骨の風習は鎌倉時代に始まったと考えられています。そして、室町時代末期になると庶民もまた、素朴な一石五輪塔を奉納し「高野山で眠りたい」とその願いを託したのです。
ここでは大名も庶民も、生前の身分や敵味方は一切関係ない。ただ一つ、「弘法大師空海の側で眠りたい」その願いだけが、静かにこの森に息づいているのです。
※高野山に関する記事:
高野山へ参詣者を導いた伝説の犬「ゴンちゃん」とは?23キロの山道を4年間歩き続けた感動実話
和歌山県の高野山へ続く険しい山道を、毎日のように参詣者たちの先頭に立って歩いた一頭の犬がいました。その名は「ゴン」。高野山の麓にある慈尊院から山上の大門まで約23キロ。歩けば6時間以上かかる山…
「高野山」は“社会的な死”を意味する?聖地に送られた戦国武将たちの非情すぎる末路
和歌山県の高野山といえば、弘法大師・空海ゆかりの聖地。奥之院の参道には、名だたる戦国武将たちの墓所が並び、まるで戦国史の巨大な霊廟のようです。ただし、そこに必ず本人の遺体が眠っているわけではあ…
※参考文献
月間『高野山』高野山真言宗





