織田信長も明智光秀も同じ参道に…高野山奥の院「20万基超の供養塔」に隠された祈りの正体:2ページ目
特に有名なのが、高知県室戸市にある御厨人窟(みくろど)で修業をしていた際の逸話です。空海が洞窟内で修行していた際、明星が口に飛び込んできたといいます。その洞窟から見えるのが、空と海だけだったことから「空海」と名乗るようになったとされるのです。
その後、空海は留学僧として唐へ渡ります。そして長安の青龍寺で、恵果和尚から密教の奥義を授けられました。帰国後、嵯峨天皇からの信を得て真言密教を確立し、高野山の地を賜り金剛峯寺を開いて真言宗の開祖となるのです。
空海は宗教家としてだけでなく、その活動は教育・文化・土木など多方面におよんでいます。まさに「日本史上、稀に見るスーパースター」と呼ぶにふさわしい人物であったのです。
その空海は835年(承和2年)3月21日、62歳で入定(亡くなり)し、高野山奥の院に葬られました。高野山の住民や真言宗の信者は、奥之院の霊廟において今も空海が禅定を続けていると信じているのです。

