もしも豊臣秀長が長生きしていたら…?秀吉の暴走と豊臣家滅亡を防げた「最強のカリスマ性」:2ページ目
秀長亡き後の暴走
あまりにも早すぎる豊臣秀長の死は、豊臣政権にとって大きな節目でした。
実際、その後、豊臣政権は急速に不安定さを増していきます。例えば、秀吉が千利休を自刃に追い込んだのは、秀長がいなくなってわずか一か月後のことでした。
利休の死は政権の文化的支柱を失わせ、世間にも強い衝撃を与えます。
続いて秀吉は、悪名高い朝鮮出兵を命じます。この決断が多くの反発を招き、政権の求心力を大きく損なう結果になったのはご承知の通りです。
さらに、出兵中に甥の秀勝が死亡し、秀長の養嗣子であった秀保も謎の死を遂げています。関白職を譲った秀次も、秀吉の命によって自刃させられました。
見ての通り、豊臣家の後継構造は急速に崩れ、政権の内部は混乱を深めていきます。
もしもこの時点で秀長が生きていれば、こうした急激な決断や内部崩壊を抑える役割を果たした可能性は十分に考えられます。
秀長は秀吉の暴走を抑える調整役として機能していたとみられ、彼の死と政権の混乱が重なる点は無視できません。
豊臣政権の安定は、秀吉の力だけでなく秀長の冷静な判断によって支えられていたことがうかがえます。
