『豊臣兄弟!』村重逃亡のその後は?だし処刑・官兵衛改姓・別所滅亡…史料から第24回の名場面を考察:4ページ目
官兵衛が小寺から黒田に改姓した理由は?
半兵衛に対する恩義とリスペクト?から、豊臣兄弟に心服した官兵衛。ここで有名な黒田官兵衛と名乗るようになりました。
天正8年(1580年)1月の三木城陥落によって主君であった小寺政職(まさもと。官兵衛の義外祖父)が毛利領へ逃亡≒主家が滅亡したことが、官兵衛が黒田に改姓したキッカケと考えられています。
黒田姓の初見は天正8年(1580年)7月に秀吉が官兵衛に姫路城の普請を命じた書状とされ、以来黒田官兵衛として活躍しました。
ちなみに黒田とは父祖伝来の苗字であり、近江国伊香郡黒田村(滋賀県長浜市)に由来すると言われています。
小寺の苗字は近習として仕えた政職から与えられたもので、官兵衛が初陣を飾った17歳から名乗るようになりました。
養子にとったわけでもなさそうですが、よほどこの利発な孫を可愛がっていたのでしょうね。
ともあれ小寺から黒田と改姓した官兵衛は、その後も秀吉の天下一統を助け、戦国史上に大きな役割を果たすのでした。
半兵衛から受け継がれた志を胸に、今後ますます軍略を駆使してくれることでしょう。
