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『豊臣兄弟!』竹中半兵衛の死後、秀吉四参謀はどうなった?謎多き家伝「武功夜話」が伝えるそれぞれの最期

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半兵衛が遺した秀吉への警鐘

四参謀の中で最初に没したのは、竹中半兵衛重治です。1579年(天正7年)7月6日、36歳で没しました。

『武功夜話』では、半兵衛は亡くなる直前まで秀吉と信長、そして織田諸将との関係を危惧していました。史実の半兵衛は秀吉の家来というよりも、信長から命じられ秀吉を扶ける与力的な立場にありました。

信長は、徹底した能力主義者です。そのため織田家中では抜きんでて優秀な秀吉は、順調に出世していきます。反対に失敗を犯せば信長から大きな不興を買いました。しかしそのような秀吉と信長の関係を妬む武将たちも多く、その調整役としても半兵衛は大きな存在でした。

半兵衛は「覇を為す者は、己を凌ぐ者は心好しと為さず」という名言を残しています。これは自分の死後、秀吉が織田家中で手柄を立てれば立てるほど、主君信長との確執が生じることを心配した言葉ともされます。

長康は半兵衛の言葉に対し「遺筆なお生あってその一言うところ濠然として秋霜の如し」と述べています。重い病で生死をさ迷うような状態でも、半兵衛の冷静な観察眼に対し畏敬の念を表わしていました。

しかし半兵衛の心配は、1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が没することで杞憂に終わるのです。

3ページ目 蜂須賀正勝が死の床で語った豊臣政権への不安

 

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