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『豊臣兄弟!』官兵衛と松寿丸のその後、小一郎の娘は実在?半兵衛の最期の奇跡に涙…第23回を史実考察

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小一郎の娘は実在人物?

慶がいきなり身重になっていましたが、それはいいとして、生まれた姫君はいったい誰なのでしょうか。名前を考えるところで話が途切れてしまったので、気になるところです。

通説では、小一郎の実子は以下の3名とされています。

  • 嫡男:羽柴与一郎……すでに誕生(本作では養子設定)
  • 長女:実名不詳(豊臣秀保室)……天正15年(1587年)ごろ生、母は側室(光秀尼)
  • 次女:おきく(大善院)……天正16年(1588年)生、母は不詳

竹中半兵衛が亡くなる天正7年(1579年)6月13日時点で生まれる子供はいません。もし新史料や最新研究による発見がなければ、考えられる可能性は以下のどちらかでしょう。

  • この姫君は早逝する→歴史に残らなかったということで処理
  • 実在女性の設定を改変する→これは禁じ手?

現実的に考えれば前者ですが、これ以上慶や小一郎たちを不幸にするのは、実にいたたまれません。

果たしてこの姫君は、ちゃんと成長して幸せになれるのか、今後の展開が気になってしまいますね。

宇喜多直家はなぜ織田に寝返った?

劇中では「生野銀山から産出された潤沢な銀に目がくらんで、毛利を裏切った」ことにされた宇喜多直家。冒頭の「裏切られる方が愚か者なのだ」という輝元のセリフを、見事ブーメランならしめた、と言うべきなのでしょうか。

カネ次第で信義もへったくれもなく盟友を裏切る梟雄?ぶりを発揮した直家ですが、実際のところはもう少し同情すべき?事情があったようです。

宇喜多家は対織田戦線における最前線である備前国で奮闘しており、苦境に立たされていました。

それでも中国地方の盟主たる毛利が上洛に乗り出せば、この劣勢を挽回できると信じていたことでしょう。

しかし輝元は天正7年(1579年)1月に上洛を断念してしまいます。毛利が織田との決戦に動かなければ、宇喜多など最前線の小大名は捨て駒として、すり潰されていく未来しかありません。

動揺する宇喜多家に対して、秀吉が「備前・美作の両国を安堵する」という条件で調略を仕掛け、直家はこれに乗ったのでした。

しかし信長はこれまで謀略と暗殺を繰り返してきた直家を信用しておらず、勝手に直家を調略した秀吉は必死に信長を説得します。

かくして何とか織田家への臣従を認められた直家ですが、その後対毛利の最前線に立たされたのは言うまでもありません。

織田と毛利の二大勢力に挟まれた小大名として、直家は苦渋の決断を迫られたことでしょう。

3ページ目 竹中半兵衛の最期はどうだった?

 

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