少数精鋭で大軍に逆転勝利!戦国武将・毛利元就が初陣で“西の桶狭間”を起こした有田中井手の合戦とは:3ページ目
三度目の正直ならず、残党たちの悪あがき
今田城では武田残党の粟屋繁宗(あわや しげむね)・香川行景(かがわ ゆきかげ)・己斐宗瑞(こい そうずい)・品川信定(しながわ のぶさだ)・伴繁清(とも しげきよ)らが集まり、善後策を協議していました。
粟屋・品川・伴らは、一度撤退して態勢を立て直し、捲土重来を期するべきと主張します。これに対して香川・己斐らは弔い合戦を挑むべしと譲りません。
意見が平行線をたどったまま10月23日、捲土重来派を残して弔い合戦派が出撃を敢行しました。
しかし守護大名出身というブランドを持ち、項羽(こう う。古代中国の伝説的覇王)にも比せられた武勇で恐れられた武田元繁亡き今、残党たちをまとめ上げることはできません。
恐らく数の上でこそ優勢だったのでしょうが、少数精鋭の元就たちに三度まで敗れ去り、香川・己斐らは落ち武者狩りで命を落としたのです。
かくして後世「西の桶狭間」と謳われた有田中井手の合戦は幕を下ろしたのでした。
有田中井手の合戦まとめ
- 時期:永正14年(1517年)10月3日~23日
- 戦場:有田城・又打川など(広島県北広島町)
- 交戦:武田元繁 対 毛利元就
- 兵数:5千 対 1千
- 結果:毛利元就の勝利
- 影響:安芸国内における毛利氏の台頭
武田方の武将
- 武田元繁
- 熊谷元直
- 香川行景
- 己斐宗瑞
- 粟屋繁宗
- 品川信定
- 伴繁清 など
毛利方の武将
- 毛利元就
- 相合元綱(あいおう もとつな。元就の弟)
- 桂元澄(かつら もとずみ)
- 渡辺勝(わたなべ すぐる)
- 福原貞俊(ふくばら さだとし) など
毛利方の友軍
- 小田信忠
- 宮庄経友 など
今回は毛利元就が初陣を飾った有田中井手の合戦を紹介してきました。この一戦を通じて武田氏と毛利氏の力関係が逆転し、元就の名は一躍高まったということです。
やがて中国地方の覇者となる元就の第一歩は、このように踏み出されたのでした。
※毛利元就に関する記事:
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※参考文献:
- 『歴史群像シリーズ9 毛利元就』学習研究社、1988年10月
- 『歴史群像シリーズ49 毛利戦記』学習研究社、1997年1月



