少数精鋭で大軍に逆転勝利!戦国武将・毛利元就が初陣で“西の桶狭間”を起こした有田中井手の合戦とは:2ページ目
少数精鋭で大軍を撃破!
10月22日に有田城近くへ進撃した毛利・吉川連合軍は、昨日追い散らした熊谷元直率いる軍勢1,500騎と対峙します。
兵力差はおよそ1.5倍。昨日は思わず油断したが、今日は不覚をとるまいと、元就たちに真正面からぶつかろうとしました。
はじめ元就たちは数の劣勢を少しでも埋めようと、弓矢による遠距離攻撃で敵勢をジワジワと削ろうとします。しかしこのままでは。武田元繁の本隊と挟撃されてしまうでしょう。
やむなく元就たちも真っ向から白兵戦に応じ、死に物狂いで戦いました。こうなれば数で有利な熊谷勢が有利です。勇将として名高い元直は、最前線の将兵を叱咤激励するため自身も最前線に身を乗り出しました。
するとどこからともなく流れ矢が元直の額に命中。落馬して宮庄経友に首級を挙げられてしまいます。大将の討死によって統制を失った熊谷勢は蜘蛛の子を散らすように敗走したのでした。
元直の討死と敗北を聞いた元繁は怒り狂い、今度は自身が4千の軍勢を率いて元就たちを迎え撃ちます。
軍勢は5段構え、陣形は鶴翼(かくよく)つまり大軍で少数の敵を包囲殲滅するつもりでした。
元就たちは又打川(またうちがわ)まで進撃しており、両軍は川を挟んで対峙します。元繁は一斉に渡河するよう命じますが、対岸から矢の雨が降ってくるので、思うように進めません。
いつまで経っても対岸に上陸できない様子に痺れを切らした元繁は、ついに自ら騎乗して又出川に乗り込みます。
そして案の定というべきか、元繁も矢を受けて毛利家臣の井上光政(いのうえ みつまさ)に首級を獲られてしまいました。
総大将を喪った武田軍は総崩れとなり、みな我先にと今田城(北広島町)へ逃げ込んだのです。
