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『豊臣兄弟!』上月城の全員自害、史実は?別所長治はなぜ謀叛?饅頭こわい村重…第22回放送を考察

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別所長治はなぜ反旗を翻した?秀吉の侮辱に激怒した可能性

これまでずっと従順だったのに、突如として反旗を翻した別所長治(下川恭平)。叔父であり後見人である別所賀相(田中美央)にそそのかされ、もう一人の叔父にして後見人の別所重棟(忍成修吾)には見限られてしまいました。

なぜ別所長治は織田と羽柴に反旗を翻したのでしょうか。その理由は諸説ありますが、恐らく諸要素が絡み合った結果と考えられます。

中でも決定的な引き金となったのが、秀吉の横暴な態度に怒りを覚えたからではないでしょうか。

時は天正5年(1577年)12月、播磨を「平定」した秀吉は別所重棟の娘(長治から見て従妹)を、小寺官兵衛孝高(倉悠貴)の息子である松寿丸(後の黒田長政)へ嫁入りさせようとしていました。

当時の婚姻関係は、上意すなわち格上の者が指図することが一般的です。つまり秀吉は別所家を自身と対等の織田家臣とは見ておらず、小寺家と同格≒秀吉の家臣扱いしているも同然でした。

守護大名・赤松氏の流れをくむ名門・別所家が、秀吉などの下風には立てません。あくまで自分たちは信長に臣従したのであって、信長の家臣(秀吉)の家臣となったつもりはないのです。

そんな扱いを受けてなお媚びへつらえば、ひらすら隷従の道を歩まされるばかりでしょう。たとえ一族ことごとく滅ぼされようと、武門の意地をかけて長治は挙兵(織田から見れば謀叛)に踏み切ったのでした。

【豊臣兄弟!】織田を裏切った代償は大きすぎた… 別所長治(下川恭平)を待っていた惨劇、壮絶な最期

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?第21回放送「風雲!竹田城」では、播磨の大名・別所長治(下川恭平)が初登場していました。二人の叔父・別所賀相(田中美央)と別所重棟(忍成…

3ページ目 秀吉に見捨てられた上月城と尼子主従、再興の志果てる

 

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