朝ドラ「風、薫る」遊郭の“やり手婆”とは?看病婦・須永ヨシが知る明治時代の女郎の地獄:4ページ目
「看病婦は当初吉原からやり手婆を連れてきた」
以前、看護見習生の玉田多江(生田絵梨花)が「看病婦は行き場のない女の人。身寄りのない人や遊郭にいたやり手婆も居るって、父が言っていた。」と言ってたのを覚えている人も多いと思います。
多江の父親は医師なので、病院事情をよく知っていたのでしょう。
実際に、『明治女性史』には、
「明治初年東大附属病院に入院患者ができた頃、看病婦を雇うにもなり手がなかったので、やむを得ず吉原の遣手婆さんを連れてきた……(中略)……私の頃には遣手あがりの看護婦が65歳か70歳ぐらいで長煙管をふかしながら、若い看護婦の取り締まりにあたっていた。」
という記述が。あの時の多江のセリフが、今回で回収されたことに。まさか「ヨシがそのやり手婆だったとは!」と、驚きの声があがっていました。
女郎の地獄を知っているヨシの言葉
「女郎はあとだ!」と、男性患者のほうばかり(いい家の坊ちゃんだからか)診察し、女郎のほうは見向きもしない内科の医師は、患者なのに女郎だからと物置部屋のような場所に移すように指示します。
この当時、華族や政治家などの患者は上等な部屋、それ以外の一般人は大部屋など、身分によって病室が分かれていましたが、物置部屋に入院させるとは。ものすごい差別。
そして、男性患者の両親は、「うちの息子を死に追いやった女郎は許せん」と大暴れ。「うちの息子をたぶらかした女郎め!」と差別心丸出しで怒鳴るのですが、いやいやいや……買春目的で遊郭に行ったのは「あんたの息子でしょ?」とあの場にいたら言い返してやりたいくらいでした。
「女郎だからって…」と、医師や患者の両親に腹を立てる直美。そんな直美に、ヨシが言ったセリフが重かった。
「男と心中未遂の女郎なんだ。店に戻ったら折檻されて、休んだぶん借金も増える。助けるほうが酷ってこともある。私は女郎を締め上げていたやり手婆だからね。」
「だけど、私たちは看護が仕事なので。失礼します。」と、頭を下げてりんは直美と共に去っていきます。
「ふん、あんまりきれいなこというから、つい」とヨシ。
ヨシのセリフは厳しいものですが、いつもの「わざと意地悪してやれ!」な憎たらしい表情で直美に言ったのではありませんでした。
今まで見たことのないような真摯な表情。哀しみすら感じる真顔だっただけに、その厳しい言葉が胸に沁みました。
