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朝ドラ「風、薫る」実はりんのモデルを看護の道へ導いた牧師…吉江善作(原田泰造)のモデル・植村正久の生涯

朝ドラ「風、薫る」実はりんのモデルを看護の道へ導いた牧師…吉江善作(原田泰造)のモデル・植村正久の生涯:2ページ目

伝道者として歩み出し、大関和と出会う

明治11(1878)年、正久は東京一致神学校を卒業。日本基督一致教会の伝道者となりました。

明治13(1880)年には、東京の下谷教会の牧師となります。

若い牧師でありながら、彼は日本のキリスト教をどのように根づかせるかという大きな課題に向き合っていました。

当時の日本のキリスト教は、外国人宣教師の影響が大きいものでした。正久はそこから一歩進み、日本人自身の手で教会を育て、神学を学び、伝道者を養成する必要を強く感じていたようです。

やがて正久は、朝ドラ「風、薫る」の主人公たちのモデルとされる女性たちとも関わります。

明治14(1881)年、那須から上京していた大関和(おおぜき・ちか)という女性が、正久の弟・植村正度の英語塾に通い始め、やがて正久が運営する下谷一致教会に通うようになりました。

当時の大関和は、離婚したばかりです。その原因は元夫が妾との関係清算を拒んだことにありました。

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彼女は特にキリスト教の一夫一妻の考えに共鳴。信仰への帰依へと繋がっていったといいます。

明治19(1886)年、正久は大関和に看護婦養成所への入学を勧めます。

当時、看護婦という職業は、現在のように尊敬される専門職ではありませんでした。むしろ低く見られることも多かったのです。大関和も最初は強く戸惑いました。

しかし正久は、病人を真心で看護することは、神の前に正しい行いであると説きました。大関和はその言葉を受け止め、明治20(1887)年1月に桜井女学校付属看護婦養成所へ入学し、同年3月に正久から洗礼を受けたとされています。

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明治20(1887)年には、番町一致教会を設立。これはのちの富士見町教会へとつながります。

正久は単に礼拝を行うだけの牧師ではありませんでした。教会を拠点に、信仰、教育、言論、社会への発言を広げていきます。

明治という時代は、近代国家が急速に形づくられていく時代でした。その一方で、人々は新しい価値観と古い道徳の間で揺れていました。

正久は、その揺れの中で、キリスト教を単なる外国宗教としてではなく、日本人が自分の言葉で受け止めるべき信仰として語ろうとしたのです。

ここに、正久の大きな役割が見えてきます。

彼は、女性たちに単に信仰を説いただけではありません。新しい時代の中で、女性が専門職として生きる道を後押しした人物でもありました。

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