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『豊臣兄弟!』秀吉はなぜ離脱?与一郎は実子ではない?慶との雪解けに視聴者歓喜の第19回放送を考察

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秀吉はなぜ戦線離脱した?

八月八日 柴田修理亮 大将として北国へ御人数被出候……(中略)……羽柴筑前御届をも不申上帰陣仕候段曲事之由被成御逆鱗迷惑申され候……

※『信長公記』巻十「柴田北国相働之事」より

天正5年(1577年)8月8日に七尾城救援の兵を出した勝家たち。しかし秀吉は勝手に兵を引き揚げ、信長の逆鱗に触れてしまいます。

劇中では秀吉が「既に七尾城は落ちており、これ以上進めば敵の罠にかかる」旨を勝家に進言していました。

『武功夜話』では勝家がかねて秀吉に嫌がらせをしていたとか、機内で松永久秀(竹中直人)が怪しい動きをしているのを察知したからといった理由が記されています。しかし秀吉だけが正確かつ迅速な情報網を持っていたと考えるのは不自然で、これは結果から逆算した後知恵の創作でしょう。

単に喧嘩をしたのか、何か大きな利益に目がくらんだのか……秀吉が戦線離脱した理由については、いまだよくわかっていないようです。

秀吉の離脱後、勝家らは上杉謙信の急襲を受けて大敗を喫しました。これが後世に伝わる手取川の合戦です。

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堀池頼昌・堀池頼広は実在した?

安藤守就(田中哲司)の裏切りによって没落した堀池頼昌は、討死した嫡男の堀池頼広(よりひろ)を弔い、頼広と慶の子である堀池与一郎(高木波留)を育てていました。

慶が村川竹之助(足立英)としばしば密会していたのは、不倫ではなく我が子の与一郎を見守らせるため……だったそうです。

これまでさんざん「女狐」呼ばわりされてきた彼女の汚名返上と言ったところですが、だったら最初からそう言えばいいのに……と思ってしまう筆者は、やはりおなごのことを何もわかっていないのでしょう。

冗談はさておき、堀池頼昌・堀池頼広は実在したのかと調べてみたところ、やはり架空の人物みたいです。

ちなみに堀池一家が暮らしている宝久寺村(ほうきゅうじむら)も架空の地名と考えられます(もし実在していたら、ご教示ください)。

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3ページ目 与一郎は小一郎の実子じゃないの?

 

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