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朝ドラ『風、薫る』孤児を救い異国で命に寄り添った女性…工藤トメのモデルとされる広瀬梅の生涯

朝ドラ『風、薫る』孤児を救い異国で命に寄り添った女性…工藤トメのモデルとされる広瀬梅の生涯:2ページ目

ナイチンゲールの精神を体現!孤児の支援と後進の教育に捧げた後半生

明治29(1896)年6月15日、明治三陸地震津波が発生。三陸沿岸を中心に、死者約2万2千人、流出・全半壊家屋1万戸以上という、わが国の津波災害史上最大級の被害を出しました。

梅は救援活動のために現地を来訪。そこで身寄りを失った乳児の一人に出会います。引き取り先が見つからなかったため、梅はその赤ん坊を桜井女学校の寄宿舎へ連れて帰りました。

赤ん坊は、旧約聖書の「ルツ記」にちなんで「ルツ子」と命名。夜に泣き出すと、梅は抱いて一晩中歩いたとも伝わります。

やがてルツ子は、麻布鳥居坂教会の会員であった夫妻の養子となりました。

この出来事は、梅の人柄をよく物語っています。制度や肩書きだけでなく、目の前の命を見捨てない。その姿勢こそ、梅が学んだ看護の精神だったといえます。

その後、梅は佐野佳三と結婚。程なくしてアメリカへ渡り、サンフランシスコを拠点としました。

梅は日本人家庭の出産を助けるべく、助産師としても活動。同時に夫・佳三ががつくった学校で日本の歴史や国語を教えました。

しかし当時のアメリカでは、排日運動が強まっています。

そうした中で、梅と佳三夫妻は在留邦人グループの中心的存在となったとされています。梅は看護師、助産師、教育者、そして移民社会を支える女性として、多面的な役割を担っていきました。

梅は夫との間に6人の子に恵まれます。平和な時代であれば、順風満帆であったはずです……。

3ページ目 夫・佳三と共に帰国へ。しかし……

 

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