朝ドラ「風、薫る」後に“看護婦育成”を支えることに…黒川勝治(平埜生成)のモデル・瀬尾原始の生涯:3ページ目
大関和との再会と看護婦養成
郷里に戻った原始には、運命的な再会が待っていました。
原始はある日、高田の路上で大関和と偶然再会。大関は当時、高田女学校の舎監兼伝道師として赴任していました。
原始は、知命堂病院の初代看護婦長になるよう依頼。大関は恩義のある原始の依頼を承諾し、高田女学校を退職して知命堂病院で看護業務と看護婦養成に協力しました。
明治24(1891)年11月29日、原始は知命堂病院の開院式を挙行。翌明治25(1892)年5月には病院最初の施療患者の解剖も行われました。
ここでは研究用の人体骨格標本も作られ、大関和は看病人や見習看護婦に対し、骨格標本を用いて解剖や教科教育を行っています。
明治27(1894)年4月、知命堂病院附属産婆看護婦養成所(生徒は毎年5名前後で、全寮制)が開設。原始は養成所長を兼務し、大関と共に産婆だけでなく、県下初の看護婦養成を始めました。
当時の日本において、看護婦という職業はまだ十分に理解されていません。
看護婦を「卑しい職業」「患者の世話をする下女」と見る風潮も強く、女性が職業を持つことにも抵抗がありました。
そのような時代に、原始は医師として看護の必要性を理解し、教育の場を整えようとしました。
明治37(1904)年、日露戦争の戦傷者の内地送還が増加し、看護婦の手不足が問題となります。
原始の提案により、夫人たちが同志を募って日赤篤志看護婦人会高田分会が発足。医療と看護を地域社会へ広げようとする活動が浸透していきました。
昭和5(1930)年6月7日、原始は世を去ります。享年70。外科医、教育者として駆け抜けた生涯でした。
原始は明治の西洋医学と地域医療をつなぎ、医師の仕事と看護婦の仕事を同じ現場で育てようとしていました。
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