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わずか13歳で父を斬首、その刀で敵を返り討ち…戦国乱世に生きた少女の壮絶すぎる介錯

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父を斬首したその刀で……

この時に家永の介錯を務めたのが、まだ13歳の三女でした。当時の様子を『毛利秀包記(ひでかねき)』はこう伝えています。

……彼(かの)黒木事、豊後大友公へ度々たてつき申付而(もうしつけて)、御人数(ごにんず)被差向(さしむけられ)候へ(そうらえ)とも、黒木城(くろきがしろ。猫尾城)以之外(もってのほか)難所故、落城不仕付(らくじょうつかまつらざるにつき)……(中略)……黒木手勢壱人(ひとり)も不残(のこらず)討死仕(つかまつり)、黒木、三番目娘、歳十三ニ罷成(まかりなり)候を召連、二階へ取上り、数人切臥(きりふせ)、其後(そののち)切腹仕候。彼娘、父がかいしやく仕、其刀にて敵壱人切、父の首と刀を二階より下へなけ(投げ)申候。其後、彼娘を生捕(いけどり)にして麟慶(丹波麟圭)方へ被成御渡(おわたしなされ)候。彼娘後肥前鍋島殿御家来大木兵部少輔女(妻)にて候……

※『毛利秀包記』

【意訳】黒木家永は大友家に度々反抗したため、軍勢を差し向けたが、その城は堅牢であったためなかなか陥落しなかった……(中略)……家永の手勢は一人残らず討死してしまったため、家永は13歳の三女を連れて城の二階へ上がり、数人を斬り捨ててから切腹。三女は父の介錯を務め、その刀で敵の一人を斬り捨て、二階から城外に向かって家永の首級と刀を投げ捨て、降伏の意思を示す。間もなく生捕りにされた三女の身柄は、長姉の婚家である丹波麟圭の元へ引き渡された。三女は後に大木統清(おおき むねきよ。兵部少輔)の妻となったのである。

……人の首を斬るというのは、ただ刀を振り下ろせば事足りるものではありません。きちんと苦しませずに斬首するには、相当の腕前が求められました。わずか13歳の彼女にはそれだけの腕があり、日頃から鍛錬を重ねていたことがわかります。

そして父を斬った刀で襲い来る敵一人を返り討ちにし、城の二階から父の首級と刀を放って寄越す豪胆ぶりを示しました。

極限状況における冷静な太刀筋とあわせて、ひとかどの人傑であったと言えるでしょう。

終わりに

今回は父の介錯を務めた戦国女性・黒木家永女(大木統清室)のエピソードを紹介してきました。自分の手で父親の命を絶たねばならなかった無念は、察するに余りあります。

しかし、もし彼女が男性に生まれていたら、武将として名を馳せていたのではないでしょうか。

戦国乱世に活躍した女性のエピソードは他にも多く伝わっているので、また改めて紹介したいと思います。

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※参考文献:

  • 吉永正春『筑後戦国史』葦書房、1983年12月
 

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