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『豊臣兄弟!』信長の勝利に見える小谷落城…実は豊臣秀吉が戦局を動かした“出世の原点”だった!

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滅亡の最前線

こうして小谷城は包囲され、浅井長政は追い詰められ、九月一日に自刃しました。

ここまで述べた通り、この最終局面で、秀吉は小谷城攻撃の実行役を務めました。そのことは複数の史料から読み取ることができ、彼がが攻城戦の中心にいたのは間違いありません。

この功績が認められた秀吉は、浅井氏旧領の北近江三郡を与えられました。この時の石高は約十二万石と推定されます。

こうして彼は名実ともに一国一城の主となり、天下人への階段を一気に駆け上がる一歩を踏み出したのです。

しかし秀吉は小谷城を拠点とせず、琵琶湖畔の今浜(のちの長浜)を新たな拠点に選びました。これは交通の要衝を重視したためで、この時の発想はのちの大坂城の築城にも通じます。

このように見ていくと、小谷城攻めは秀吉が天下人への道を自らの手で切り開いた最初の実戦だったのであり、ここでの経験こそが、後の豊臣政権を支える発想のコアになっていったことが分かります。

 参考資料:
呉座勇一『真説 豊臣兄弟とその一族』2025年、幻冬舎新書
中公ムック『歴史と人物24 豊臣秀吉と秀長 完全ガイド』2025年、中央公論新社
TJ MOOK『歴史アドベンチャー 豊臣秀長 天下統一を成し遂げた兄弟の軌跡』2025年、宝島社
MSムック『豊臣秀長と秀吉 戦国乱世と天下統一への道』2025年、株式会社メディアソフト

 

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