『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期:3ページ目
『浅井三代記』に見る浅井四兄弟の最期
少し話が脇にそれてしまいましたが、それでは姉川大合戦における浅井四兄弟の奮闘ぶりと最期についても見ていきましょう。
……浅井か先勢(さきて)磯野丹波守員正に……(中略)……二番は浅井玄蕃允(げんばのじょう)舎弟雅楽助(うたのすけ)三男斎宮助(いつきのすけ)四男木工助(もくのすけ)……(中略)……七番は旗本と相定め段々に可相働(あいはたらくべし)と定め置(さだめおき)摠して(総じて)浅井か勢八千余騎なり……
※『浅井三代記』巻第十五「姉川合戦の事」
【意訳】浅井の先方は磯野員正(いその かずまさ)。二番手は浅井四兄弟ほか、七番手は旗本(長政親衛隊)、全7隊が相互連携することが指令された。かくして浅井は総勢8,000騎である。
……浅井雅楽助舎弟斎宮助……(中略)……は爰(ここ)を先途(せんど)と相戦ひ居たりしか味方ちりちりに敗北すれは討死と思ひ切各手柄あくまてつくし敵あまた討取終に討死なしたりける……
※『浅井三代記』巻第十五「姉川合戦の事」
【意訳】浅井雅楽助や浅井斎宮助たちは、ここが正念場と死力を尽くして勇戦した。しかし味方が散り散りに敗走するのを見て、ここを死に場所と思い定める。そして武名を後世に遺そうと多くの敵を討ち取り、ついに力尽きて討ち取られた。
長兄の玄蕃允と末弟の木工助も討死し、かくて浅井四兄弟は全滅したのです。
