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『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期

『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期:2ページ目

三男・浅井斎宮助

生年不詳~元亀元年(1570年)6月28日没

実名は不詳、一説に浅井政連(まさつら)。浅井家中において、我が兄や祖先ほどの働きをした者はいないと大言壮語。次兄の雅楽助から公衆の面前で咎められたため「メンツを潰された」と激怒します。

※ただ雅楽助にしてみれば、弟のメンツ以上に浅井家中での立場を優先したのは当然と言えるでしょう(弟の大言壮語をきちんと指導しないことで、同意しているなどと周囲から思われてはたまりません)。

雅楽助の申し出によって打ち解けた斎宮助もまた、心置きなく奮闘し、武士として立派な最期を遂げたのでした。

四男・浅井木工助

生年不詳~元亀元年(1570年)6月28日没

実名は不詳、一説に浅井政重(まさしげ)。兄たちと一緒に度々従軍しており、例えば永禄3年(1560年)8月に六角義賢(ろっかく よしかた。六角承禎)と争った野良田合戦では「浅井玄蕃允兄弟四人」、姉川大合戦では「浅井玄蕃兄弟四人」と記されています。

いつも力を合わせて戦い続けてきた四兄弟ですが、この姉川大合戦であえなく散華したのでした。

浅井四兄弟の官途名まとめ

彼らは普段から諱(いみな。実名)ではなく、通称(成人男性が名乗る)や官途名(主君から名乗りを許された非公式の官職)で呼び合っていました。

なぜなら諱は忌み名とも言う通り、直接呼ぶことはたとえ部下に対してでもタブーとされたからです。

ここでは浅井四兄弟それぞれの官途名をまとめました。戦国時代に入ると有名無実となっていましたが、どんな職掌があったのでしょうか。

玄蕃允(げんばのじょう/ほうしまらひとのじょう)

玄(ほうし):僧侶の在籍管理や朝廷における仏事法会の指揮監督。

蕃(まらひと):外国使節や異民族の饗応など。

允:三等官(じょう。従七位下相当)

雅楽助(うたのすけ/うたまいのすけ)

雅楽(うた/うたまい):朝廷における管弦や舞楽(いわゆる雅楽)。

助:二等官(すけ。従六位上相当)

斎宮助(いつきのすけ/さいくうのすけ)

斎宮(いつきのみや/さいくう):斎宮(伊勢の神宮に奉仕する未婚皇女)のお世話など。

助:二等官(すけ。正六位下相当)

木工助(もくのすけ/こだくみのすけ)

木工(もく/こだくみ):朝廷における造営事業(材木調達や職人の手配など)

助:二等官(すけ。正六位下相当)

こうして並べて見ると、明らかに長兄の玄蕃允が格下に思えてしまいます。

しかし恐らく、当時は官職や位階の上下よりも「ゲンバノジョウって響きがカッコいい!」などと言った感覚だったのかも知れませんね。

3ページ目 『浅井三代記』に見る浅井四兄弟の最期

 

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