手洗いをしっかりしよう!Japaaan

『豊臣兄弟!』史実で万丸と宮部継潤の関係は?比叡山焼討ちに対する実際の評価ほか第16話を考察

『豊臣兄弟!』史実で万丸と宮部継潤の関係は?比叡山焼討ちに対する実際の評価ほか第16話を考察:3ページ目

幸せだった?宮部継潤と万丸の関係

「わしらはもう百姓ではない」「守られる側から、守る側になったのじゃ」

姉ともを説得する小一郎のセリフは、まさに侍のそれでした。自分たちの幸せや肉親の情を犠牲にしてでも、天下公益に資することこそ為政者の務めであると宣言したのです。

こうまで言われては、これまで侍としての恩恵を享受してきたともに、返す言葉もありません。弥助(上川周作)の説得もあって、ともは可愛い万丸を涙ながらに送り出したのでした。

かくして宮部継潤の養子となった万丸がその後どうなったか?については諸説あり、以前は「浅井攻略が済んだらすぐに帰された」と言われていたようです。

しかし実は元服するまで宮部家におり、宮部吉継(よしつぐ。次兵衛尉)として活動していたという説も浮上しました。

※吉継とは木下藤吉郎秀「吉」と宮部「継」潤からそれぞれもらった名前と考えるのが自然でしょう。

後に清洲会議(本能寺で横死した信長の後継者選び)が終わった天正10年(1582年)ごろ、宮部家から三好康長(みよし やすなが)の養子になり、三好信吉(のぶよし)に改名したと言われています。

※関連記事:

『豊臣兄弟!』万丸を人質に取り最期まで秀吉に仕えた男…史実での宮部継潤(ドンペイ)の生涯を辿る

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、姉川大合戦で勝利した織田信長(小栗旬)は、裏切った浅井長政(中島歩)の討伐に本腰を入れます。その一環として信長は、宮部継潤(みやべ けいじゅん 演:ドンペイ)の…

振り返ってみると、継潤と過ごした10数年間は、万丸にとって最も穏やかな時期だったかも知れません。

4ページ目 鬼畜の所業?比叡山焼討ちに対する評価

 

RELATED 関連する記事