「王族のような暮らし」は本当だった!庶民に恨まれるほど「財閥」が巨万の富を築けた超シンプルな理由:2ページ目
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反発と終焉
財閥の富は圧倒的で、庶民から見れば別世界の人々でした。
しかし、それが反発を呼ばないわけがありません。大正デモクラシー期の民衆運動や労働運動では財閥批判が強まり、二・二六事件など軍部の過激思想でも財閥は敵視されました。
特に二・二六事件では安田善次郎や団琢磨が暗殺されるなどし、財閥は社会的緊張にさらされます。
財閥側も世間の反発を察知し、慈善事業や役員報酬の引き下げを行いましたが、構造的な富の集中は変わらず、庶民の不満は消えませんでした。
それでも財閥は終戦まで存続し、日本経済の中心として巨大な影響力を持ち続けました。
法人税がほぼ存在しなかった時代に蓄積された富は、現代の感覚では王族級だったと言っても過言ではありません。
戦前の財閥の姿を振り返ると、税制度が社会の富の分配にどれほど大きな影響を与えるかがよくわかります。財閥の富裕ぶりは、庶民に恨まれるのも納得のスケールだったと言えるでしょう。
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参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:Wikipedia
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