『豊臣兄弟!』朝倉義景(鶴見辰吾)は本当に愚将だったのか?上洛しなかった“意外に堅実”な理由:2ページ目
上洛しなかった理由2:加賀一向一揆
加えて義景が上洛しなかった背景には、加賀一向一揆の存在がありました。
越前の北に位置する加賀国(石川県南部)は、文明6年(1474年)に一向一揆が守護の富樫氏を滅ぼして以来「百姓の持ちたる国」となっています。
石山本願寺を頂点とする宗教組織の連合体が国家権力を排除し、守護も大名もいない独自の体制をおよそ百年維持していました。
一向一揆の脅威は越前朝倉氏にも及び、初代・朝倉孝景(たかかげ)はじめ歴代当主は、襲来する一向一揆とたびたび死闘を繰り広げています。
迫りくる侵略の波から、辛うじて領国を維持できている状態で上洛などすれば、たちまち越前は一向一揆に呑み込まれてしまったでしょう。
だから義景は仮に動きたかったとしても、動くことがままならなかったのです。
この「近くに強敵がいるため上洛できない」という事情は、終生ライバル同士だった甲斐の武田信玄(高嶋政伸)と越後の上杉謙信(工藤潤矢)も同じでした。
義景が上洛しなかったのは、天下への野望よりも基盤の維持を選んだ現実的な判断と言えるでしょう。
