『豊臣兄弟!』史料に見る「金ヶ崎の退き口」の実際、浅井長政とお市はどうなる?第14回放送の解説:2ページ目
『絵本太閤記』に見る金ヶ崎合戦
とにかく逃げ帰るのに必死だった当事者の日記『信長公記』に対し、江戸時代中期に書かれた軍記物語『絵本太閤記』では、もっと秀吉の活躍が詳しく描かれました。
金ヶ崎城には豊臣兄弟&仲間たちだけでなく、明智光秀(要潤)や池田勝正(いけだ かつまさ)も残っています。
兵力は総勢3,000ほど、金ヶ崎城を包囲する朝倉の軍勢は約35,000と十倍以上の差がありました。
秀吉は敵を引きつける囮のネズミとして、小一郎にわずかな兵で金ヶ崎城を守らせ、自身は1,000ほどの軍勢を率いて伏兵となります。
明智・池田勢は秀吉の指揮下にはいなかったようで、どのような行動をとっていたのかはわかりません。恐らく「殿の命ゆえ助太刀はするが、指図は受けぬ」という距離感を保っていたのでしょう。
小一郎たちは城の内外にありったけのかがり火を焚いて、あちこちに大軍がいるように偽装して、朝倉の大軍を迎えました。
果たして夜になって朝倉の大軍が金ヶ崎城を取り囲みますが、様子をうかがってなかなか攻め懸かっては来ません。
そこへ秀吉が夜襲を仕掛け、朝倉勢が混乱した機に乗じて小一郎も城内から撃って出ました。
更に明智・池田も加勢して朝倉勢に痛打を加え、一矢報いた形で退却してきたということです。
『徳川実紀』に見る金ヶ崎合戦
劇中では史実に沿って、徳川家康(松下洸平)は早々に退却していました。が、後世に書かれた江戸幕府の歴史書『徳川実紀』では家康も殿軍に加勢したことになっています。
要するにフィクションなのですが、それによれば秀吉が家康に「助けてほしい」と泣きついてきたので仕方なく加勢することになりました。
果たして壮絶な退却戦を繰り広げるのですが、家康は窮地に陥った秀吉を救出した上に朝倉勢を撃退し、逆に少し追い立てて距離をとって悠々と逃げ延びたのです。
ここまで来れば一安心……というところで休憩していると、ボロボロになった秀吉がようやく追いつき、家康に感謝感激雨あられとお礼を述べるのでした。
これが数年前に「何やかんや」で割愛されてしまった家康無双エピソードの一つですが、秀吉のボロボロぶりなどに、妙なリアリティを感じてしまいますね。
ちなみに『徳川実紀』では家康アゲが激しく、続く姉川の合戦でも無双するのですが、果たしてどのように描かれるのでしょうか。

