『豊臣兄弟!』聖地巡り:豊臣秀長の城下町・大和郡山へ!菩提寺「春岳院」と墓所「大納言塚」を訪ねる:3ページ目
人々の願いに耳を傾ける墓所・大納言塚
では、続いて秀長の墓所である「大納言塚」に向かいましょう。「春岳院」から「大納言塚」までは、おおよそ1.5キロ。途中の道筋には郡山城跡があり、そこからは坂道が続くため、電動アシスト自転車が大活躍でした。
この日は日曜日だったため、たくさんの人が大和郡山を訪れていました。実は、この2日後に桜の満開シーズンにあわせた「お城まつり」が開催されるので、正直に言うと、休日とはいえ人出はそれほどでもないだろうと高をくくっていたのです。
ところが、本当に「えらいことになっている」状態でした。特に大和郡山城を訪れている人の多いこと。もちろん、すべてが史跡めぐりの人ではありませんが、あらためて『豊臣兄弟!』の影響力を感じました。
さて、「秀長号」は絶好調。歩きなら20分以上かかるところを、その半分で「大納言塚」に到着、と言いたいところでしたが、自転車の速さに任せて地図を確かめずに爆走したため、途中で迷ってしまい、結局は歩きより遅い30分ほどを要してしまいました。
1591(天正19)年1月22日、秀長は郡山城内で50年の生涯を閉じます。その亡骸は、兄・秀吉が建立した大光院の墓所に葬られ、同院が位牌所としてその菩提を弔っていました。
しかし、豊臣家が途絶えた後、その荒廃を恐れた藤堂高虎により京都大徳寺に移されたのは、先に述べた通りです。そして、新たに菩提寺となった「春岳院」が、位牌とともに墓所の管理を行いました。
ただ、墓地は一時期荒廃します。しかし、1777(安永6)年、春岳院の僧・栄隆や訓祥が郡山町中と協力して外回りの土塀を築き、五輪塔を建立し今日に至っています。
五輪塔は高さ2メートル。地輪の表面には秀長の戒名が刻まれているので注目しましょう。また、墓所前には「お願いの砂箱」があり、名前と願い事を唱えて3回砂を通すと願い事が叶うという伝承があります。
人の意見をよく聞き、吟味してから物事を判断したという秀長ならではの伝承ではないでしょうか。整備された墓所を見ると、いかに秀長が郡山の人々に想われているのか、よくわかる気がしました。
さて、豊臣秀長の城下町・大和郡山を深掘り探訪する第1回目は、このあたりで終了です。次回は、秀長ゆかりの神社と寺院を訪ねます。どうぞお楽しみに。
※この記事は現地取材に基づいて構成しています。
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