【豊臣兄弟!】謎多き慶(吉岡里帆)の正体。背中の刀傷、密会の男は誰か…史料を交え13話『疑惑の花嫁』を考察:5ページ目
高野山奥之院の豊臣家墓所にある「慈雲院芳室紹慶」の石塔
そもそも、小一郎の女性関係に関しては、残されている情報がかなり乏しいそうです。
今回、慶のモデルとなっている「慈雲院」が正室とはいわれていますが、実名も出自も謎です。
史料でそれらしき存在が確認されるのは天正13年頃(1585)。
『多聞院日記』によると、9月に大和国(奈良県)を与えられ郡山城(奈良県大和郡山市)に入った秀長とともに、「濃州(※)女中が、郡山にきた」という記述があるそう。
「智雲院」という説もありますが、天正19年(1591)、高野山奥之院の豊臣家墓所にある石塔の刻銘には「大納言殿北方」(秀長の正妻)として「慈雲院芳室紹慶」とあり、ドラマの「慶」という名前は、ここから一文字とったといわれています。
安藤守就の娘は、竹中半兵衛や遠藤慶隆に嫁いだという話はあるのですが、小一郎(秀長)のもとに嫁いだという記録は確認されていないそうです。
秀長と慈雲院が結婚したのは永禄8年(1565)〜永禄11年(1568)と推測されているようですが、いくつくらいで結婚したのかはわかりません。慈雲院が春日大社へ参拝したり春日大社に詣でたりした記録はあるそうです。
天正18年(1590)、病に付した秀長のため闘病平癒の祈祷も行っていたそうで、夫婦仲はよかったのではないかと推測されています。
秀長には摂取院光秀という側室がいたようなのですが、その人物を伝える史料も少なく、またそれ以外の側室がいたという話もありますが、その記録も乏しいよう。
個人的には、史実に記録がなく曖昧な出来事や人物を、創作の力でエンターテイメントにして見せてくれるのが大河ドラマの面白さだと思います。
※濃州:美濃守守りを称した秀長
最後に
愛する夫を戦いで殺され、小一郎はもちろん、織田側の人間とは誰とも心は通わせないし信じないという思いを抱え嫁いできた慶。
けれども、小一郎も愛していた直という女性を妻にする寸前に、見知らぬ百姓同士の戦いで殺されてしまい、その痛みを胸の奥深くに抱え続けています。
今は敵対心しか抱いていない慶ですが、もしかしたら何かのきっかけで小一郎が負った深い傷を知り「戦いで最愛の伴侶を奪われたもの同士」心が近づき、新しい絆が生まれていくのかもしれません。
次回は、前回に引き続き、これから起こる悲劇がより残酷に際立たせる浅井長政と織田信長「義兄弟の絆」を感じるフラグ場面と、急激に立ち込めた暗雲の振り返りってみます。
※関連記事:



