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なぜ絵馬は「馬」なのか?縄文から古墳へ続く土偶・鳥・馬に託された古代日本人の“祈りの系譜”を辿る

なぜ絵馬は「馬」なのか?縄文から古墳へ続く土偶・鳥・馬に託された古代日本人の“祈りの系譜”を辿る

神社に参拝した際、私たちの願いを書き記す「絵馬」。志望校への吉報を願う受験生や、家族の健康を祈る人々など、そこには重なり合う幾千の筆跡が所狭しと並んでいます。

なぜ「馬」の「絵」と書くのか、その理由を深く紐解いていくと、古代日本人が行ってきた切実な「祈りの形」が見えてきます。

縄文・弥生から続く「形に託す」文化

日本列島における「祈り」の歴史は、1万年以上前の先史時代から続いています。

自然の大きな営みの中で暮らしていた縄文時代、人々は常に背中合わせにある災害や疾病への不安、そして子孫繁栄への切実な願いを抱えていました。その祈りを形にしたのが「土偶」です。

自らの願いを託し、時にはその一部をあえて壊すことで災厄を肩代わりさせる。文字のない時代、土の人形は人々の身代わりとなり、目に見えない世界への橋渡し役を務めていました。

稲作が定着した弥生時代になると、生活スタイルの変化とともに、人々の祈りの形にも新たな展開が見られるようになります。その象徴の一つが、木で作られた鳥(鳥形木製品)です。これは亡くなった人の魂を運ぶ「葬送の儀式」に用いられたほか、田畑や集落への災厄を追い払う「物見鳥」として、農耕に関わる祈りの場でも重要な役割を担っていたと考えられています。

一方で、当時の有力者たちは大陸から流入した「銅鐸(どうたく)」などを祭祀に用いるようになりました。祈りの道具や儀式の形は、社会的な立場や生活のありようによって多様化していったと考えられています。

古墳時代、特別な存在として捧げられた「馬」

弥生時代に空を飛ぶ「鳥」に託された祈りは、古墳時代に入ると、その主役を大地を駆ける「馬」へと移していきます。

日本列島に馬が渡来したのは、弥生時代の末期頃と考えられています。当時の馬は、誰もが持てる身近な家畜ではありませんでした。古墳から出土する豪華に装飾された「馬具」や、馬にまたがる「騎馬像の埴輪」が示す通り、馬は限られた有力者だけが手にできる特別な移動手段であり、権威の象徴だったのです。

その圧倒的な力強さやスピードから、馬には願いを託すに足る霊力があると考えられていたようです。

また、生きた馬の代わりに、土で作られた「土馬(どば)」を川に流したりするなど、祈りの形は少しずつ変化を見せ始めます。

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2ページ目 「絵馬」の誕生

 

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