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『豊臣兄弟!』第9回、あの“謎の武将”は誰だ?斎藤龍興の家老・長井隼人正道利の正体【前編】

『豊臣兄弟!』第9回、あの“謎の武将”は誰だ?斎藤龍興の家老・長井隼人正道利の正体【前編】:3ページ目

長井隼人佐道利は道三の長男なのか?

長井道利の出自には、以下の説があります。

●長井長弘の嫡男説
●斎藤道三の嫡男説
●斎藤道三の弟説
しかし、どれが正しいのかは現在でも判明していません。

先ずは「長井長弘の嫡男説」から紹介します。長井長弘は、前斎藤氏の重臣で藤左衛門家と称し、道三の父・新九郎正利を家臣に取り立てた人物です。しかし正利は、後に美濃守護・土岐頼芸の寵臣となり、1530年(享禄3年)~1533年(天文2年)の間に長弘を謀殺しています。

長弘には景弘という嫡男がいました。この景弘が1534年(天文3年)以降になると記録に現れることがなくなります。景弘がどうなったかは史料的には断定できませんが、何らかの理由で隼人佐道利がその名跡を継いだ可能性が強いのです。とすると、そこには正利あるいは道三の画策が見え隠れするのですが、正利は1533年(天文3年)に没したとされることから、この件は道三の仕業と考えるのが妥当でしょう。

続いて「斎藤道三の嫡男説」「斎藤道三の弟説」をみてみましょう。「嫡男説」は『寛政重修諸家譜』、「弟説」は『寛永諸家系図伝・井上系図』によります。ちなみに井上家は、道利の子孫が名乗った苗字です。

ここで興味深いのは、『井上系図』に次のような記述があることです。「道利は道三の長子として生まれたが、若年の時の子であったため弟とされた」

では、どの説がもっとも可能性として高いのでしょうか。当時は名前に用いる字が血縁関係を示す場合が多かったことから、「道利」という名が正しいのであれば、藤左衛門家の「長弘」「景弘」との直接的なつながりはやや弱いといえます。

むしろ後斎藤家の道三は実名を「利政」と称し、義龍も当初は「利尚」と名乗っていました。このことから、「道利」という名は道三の一族である可能性が高いと考えられるのです。そして道三は、道利を庶子扱いとして長井姓を継がせ、斎藤姓は嫡男の義龍に継がせたのではないでしょうか。

このようなことから、道利が道三の長男であったとすれば、龍興の時代になり衰退していく後斎藤氏を最後まで見捨てず支え続けた理由も説明できるのではないでしょうか。

では【前編】はここまで。【後編】では、斎藤義龍・龍興の時代に道利がどのような役目を果たしたのかについて迫っていきます。

※参考文献
横山住雄著『斎藤道三と義龍・龍興』 戎光祥出版

 

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