【豊臣兄弟!】“架空”の直(白石聖)には実在モデルがいた!?史料『太閤素生記』が伝えるもう一人の女性:3ページ目
秀吉と同時代を生きた「もう一人の女性」
稲熊助右衛門は、中中村の代官として土地を治めていたとされ、地域社会でも一定の影響力を持つ存在でした。秀吉や秀長が少年期を過ごした環境の中で、実際に接点があったと考えられるのは稲熊家の人々だったのです。
そして、この助右衛門の娘こそが、後に『太閤素生記』の著者・土屋友貞の養母になった人物でした。つまり、秀吉の少年時代と地理的に近い場所に生まれた女性が、のちに秀吉伝を書いた人物の養母となっていたのです。
彼女は秀吉・秀長と同じ時代の中中村に生きた人物であり、その記憶が養子である友貞へと語り継がれていきました。そして、そこから生まれたのが『太閤素生記』という書物だったのです。
さらに、もう一人、若き日の秀吉と実際に会っていた人物が存在していました。
それが、友貞にとっては祖母にあたるキサという女性でした。では、この祖母はどのような人物だったのでしょうか。
16歳の秀吉と会っていた友貞の祖母
若き日の秀吉と会ったことがあると伝えられているキサ。伝承によれば、そのとき秀吉はまだ16歳ほどの若者だったといいます。
もちろん、この逸話を裏付ける同時代史料は残っていません。しかし、秀吉の若年期に関する口伝が、特定の家族の中で語り継がれていた可能性は十分に考えられるでしょう。
そして特に興味深いことがこのキサの出自で、遠江の武将で引馬(後の浜松)城主・飯尾連龍の娘であったのです。
『太閤素生記』によると、「引馬城主・飯尾連龍は今川家の家臣で、さらに近くの久能という小城の城主は松下加兵衛といい、どちらも今川の家臣だった」とあります。そして、久能城主の松下加兵衛こそが、秀吉が最初に仕えた人物でした。
とすると、16歳で故郷を出た秀吉は、キサの縁により加兵衛に仕えたということも否定できないのではないでしょうか。
ここで、あらためて『豊臣兄弟!』に登場した直を思い出してみましょう。中中村に生まれ、秀吉・秀長の若き日を知る女性。
直は、ドラマではその人生は悲劇的な結末を迎えましたが、もし中中村で秀吉兄弟と同じ時代を生きた女性が実際に存在していたとすれば、その姿はまったくの空想から生まれたものとは言い切れないのではないでしょうか。
もちろん、直が稲熊助右衛門の娘であり、後に土屋友貞の養母となった女性その人であったと断定できる史料はどこにも存在しません。
ここで述べてきたのは、あくまで史料の断片をつなぎ合わせて見えてくる一つの可能性にすぎません。
しかし、『太閤素生記』という秀吉初期の伝承を伝える史料の背後には、若き日の秀吉を実際に知る女性たちの記憶があったとしたら……。
もしかすると、『豊臣兄弟!』で描かれた直という人物もまた、尾張中中村の片隅で秀吉と秀長を見ていた女性の面影を、どこかに宿しているのかもしれません。
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