『豊臣兄弟!』なんと勝率9割超!豊臣秀長(小一郎)“負けない弟”の証明となる“全戦歴”完全版:3ページ目
山崎(やまざき)の戦い
天正10年(1582年)……秀長43歳
場所:山城国(京都府大山崎町)
結果:勝利
中国大返しによって逸早く京都へ帰還した秀吉と秀長は、山崎の地で明智光秀(要潤)を撃破しました。
この殊勲により、秀吉は織田政権における立場を強固なものとします。
賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い
天正11年(1583年)……秀長44歳
場所:近江国(滋賀県長浜市)
結果:勝利
織田家における主導権争いから、秀吉は織田家宿老の柴田勝家(山口馬木也)と対立。秀長は本陣を守備し、秀吉の勝利を支援しました。
最終的に勝家は敗死し、織田信孝(信長三男)も自害に追い込まれます。
小牧・長久手(こまき ながくて)の戦い
天正12年(1584年)……秀長45歳
場所:尾張国(愛知県小牧市など)
結果:勝利
織田信雄(信長次男)の要請により、徳川家康が秀吉討伐に挙兵しました。
戦上手の家康に苦戦を強いられますが、秀吉が信雄を調略、外交的に逆転勝利を収めます。
紀州(きしゅう)平定
天正13年(1585年)……秀長46歳
場所:紀伊国・和泉国(和歌山県と大阪府南西部)
結果:勝利
秀長は副将として雑賀衆・根来衆の討伐に参陣。武力だけでなく、交渉や調略も駆使したと言われます。
平定後は秀長に紀伊・和泉両国が与えられました。
四国平定(長宗我部征伐)
天正13年(1585年)……秀長46歳
場所:四国地方
結果:勝利
病床にあった秀吉の代理として、10万の軍勢を率いて四国へ乗り込みます。
和睦交渉を一任された秀長は長宗我部元親を降伏させました。




