『豊臣兄弟!』ドラマでは描き切れなかった松永久秀(竹中直人)…平蜘蛛と爆死だけでは終わらない本当の実像
『豊臣兄弟!』では描き切れないであろう人物の一人が、第20回「本物の平蜘蛛」で爆死という壮絶な最期を遂げた松永久秀(演:竹中直人)です。
久秀といえば、一般には「梟雄」「悪人」として知られますが、その実像は能力の高い武将であり、文化人でした。豪壮華麗な多聞城を築城し、名物茶器を集めた茶会、そして畿内の名士たちとの交流……。
今回は、そんな文化人・松永久秀の素顔を紹介します。
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信貴山城・多聞城に込められた久秀の戦略
1559年(永禄2年)、大和へ進出した松永久秀は信貴山城を改修、その2年後には多聞城を築き、この二つの城郭を拠点に大和統一に乗り出します。
久秀が信貴山・多聞両城を本拠としたのには、大きな意味がありました。それは両城が建つ立地です。
最初に築いた信貴山城がある信貴山は、大阪府八尾市と奈良県生駒郡の県境近くに位置する標高437メートルの山。信貴山城からは、東に大和地方、西に河内地方を一望できます。
信貴山は、大和と河内の中間地点に位置し、その南端には奈良県桜井市・宇陀市付近を源流とする大和川が流れ、摂津・河内を通って、瀬戸内海運の要衝・難波へ注ぎます。
その近くには、南蛮貿易で栄えた堺がありました。おそらく久秀は大和川の水運を利用し、物資や人員を堺に運搬していたのでしょう。それゆえに久秀は、堺と太いパイプで結ばれていました。
つまり信貴山城は、攻略を進める大和の状況を掌握しながら、東アジアはもとよりヨーロッパ世界に通じる堺にアクセス良好な立地であったのです。
一方、多聞城は平城京の外京にあたる標高115メートルの眉間寺山に築かれました。東の山麓には奈良と京都を結ぶ街道が通り、南には東大寺や興福寺をはじめ奈良の町が広がります。
戦国時代、奈良の商人たちは興福寺・東大寺などの大寺院と結びつき、特権的地位である座を結成。高級麻織物の奈良晒(ならさらし)や日本酒、醤油、奈良漬などの製造・販売を行い、裕福な商家がたくさんありました。
久秀はそのような大和の富に着目していたようです。当時の寺院の記録には、出兵のたびに商家だけでなく、大寺院にまで徴税を要求する久秀に辟易していた様子が記されています。
ただしこれらは、高い経済力を有する堺と奈良を抑えるべく信貴山城、多聞城を築いたこと、権門である寺社勢力にも遠慮しない態度など、久秀の優秀さを物語る例と言えるでしょう。







