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幕末の寺に残る「16歳の数学少女」  ――史料でたどる、江戸時代に消えた“和算少女”たちの痕跡

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寺子屋と商家が支えた少女たちの数学

江戸時代、庶民教育を担った寺子屋では、「読み・書き・算盤」が基本のカリキュラムとして男女ともに教えられていました。寺子屋は男女共学で、一斉授業ではなく、師匠がそれぞれの子どもの習熟度に応じて指導する形が一般的でした。

江戸時代、全国に自然発生的に広まった「寺子屋」ではどんな勉強をしていたのか?

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寺子屋で用いられた往来物は現存するだけでも7000種類以上あり、そのうち約1000種類は女子用と分類される教材です。少女が教育の対象として広く想定されていたことが分かります。

商業が盛んな地域では、商家の娘も帳簿管理や取引に必要な計算能力を求められ、算盤教育に力を入れる寺子屋もありました。少女たちは日常の中で、実務のための数学に触れていたと考えられます。

一方で、和算家として名を残すためには、塾の運営や書物の出版、算額の奉納など、公の場で実績を示す必要がありました。出版や保存、記録の主体は多くの場合、男性や家の当主に偏っており、女性や子どもは「学んではいても、名前が表に出にくい構造」に置かれていました。

「消えた」のではなく「残らなかった」名前

和算史において、女性数学者として広く知られる名はごく限られています。しかし、それは女性が存在しなかったことを意味しません。

明星輪寺の算額には、河合澤女や奥田津女といった少女・女性の名が刻まれています。『算法少女』には、平章子という少女の名が撰者・編者として明記されています。

少女の名が数学と並んで刻まれている。少女の名義で数学書が出ている。これらは確認できる事実です。

しかし、彼女たちがどのような家庭に生まれ、どの程度まで数学を学び、その後どのような人生を送ったのかをたどる記録は、ほとんど残されていません。

歴史は、残された史料の積み重ねから組み立てられます。出版や奉納、保存の仕組みに乗らなかったもの、あるいは乗っても後世まで残らなかったものは、「なかったこと」として扱われやすい。

その意味で、「数学を学んだ少女たちが消えた」のではなく、「彼女たちの姿を記す記録が十分に残らなかった」と考える方が、史実に即しています。

史料の隙間から見える「数学少女」たち

明星輪寺の算額と『算法少女』は、時代も性格も異なる史料ですが、一つの共通点を持っています。少女の名が、数学の問題や和算書の編者として、はっきりと刻まれていることです。

彼女たちが江戸の数学界の中心だったとは言えません。しかし、少なくとも周縁に、確かに存在していたことは、現存する木板と書物が証言しています。

江戸の空の下で、筆をとり、円や三角形を描き、答えを考えていた少女たち。その姿は、史料の隙間からかすかに見えるだけです。

けれども、一度その存在に目を向ければ、「いなかった」と言い切ることはできません。数学史の余白に刻まれた少女たちの名は、今も静かに問いを投げかけています。

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参考:

 

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