朝ドラ【風、薫る】予習:看護が“賎業”と呼ばれた時代、実在2人の女性が切り開いた「看護師」という道:2ページ目
明治時代に「看護」という仕事が生まれたわけ
江戸時代の終わりから明治維新後にかけて、日本でも急速に西洋医学を取り入れるようになりました。
ようやく、病院という施設・手術・消毒という概念・傷や病気の管理・組織的医療という、欧米由来の診療体系が導入されたのです。
それに伴い、医師だけの手では回し切れないほどの実務作業が必須になりました。
清潔の維持・傷の包帯交換・食事と排泄の管理・感染予防対策など、今までの家庭内の素人レベルの「看病」ではなく、看護に関する知識と専門的な技能を持つ人材が必要になったのです。
イギリスでは、かの有名なフロレンス・ナイチンゲールにより、1860年に『看護覚書』という書物が発表されるとともに、ロンドンに看護師養成所が設立。
「ナイチンゲール方式」と呼ばれる教育システムは、日本にも多大な影響を与え、長く日本の看護の礎となりました。
1880年代(ちょうど、『風、薫る』のヒロインたちの時代)には、日本でも看護教育が始まり、1885年前後には、複数の看護学校や養成所が設置されるように。
当初はまだ教育制度も曖昧で、医師が直接教える形や官立病院やミッション系医療機関と深く結びついたそうですが、これが 日本で「看護専門職」としての原点となったようです。
近代的な働く女性を育てる教育機関でもあった看護学校
当時の看護学校では、衛生学・解剖学の基礎・包帯の巻き方・患者との接し方など、医療分野だけではなく規律や礼儀作法も厳しく教えたそうです。医療技術が知識を学ぶ場でありながら、近代的な「働く女性」を育てる機関でもありました。
当時はまだ女性が高等教育を受けることが珍しく、看護学校の女学生の多くは寄宿舎で集団生活を送っていたそう。
早朝の起床、厳しい時間管理、制服の着用など、規則は厳しく自由は限られていたものの、その分、彼女たちは“学ぶ女性”としての誇り・志・自覚を強く持つようになったといわれています。
3ページ目 健康や命を守る「看護」がなぜ“賎業”とされたのか

