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新撰組・土方歳三と渋沢栄一は“友人”だった!なぜ接点が?──幕末京都に残る意外すぎる証言

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遊興好きという共通点

この二人にはもうひとつの接点があります。夜の世界です。

京都には祇園や島原といった色街があり、当時の若い武士や隊士が集う場でもありました。

もともと渋沢は遊興好きだったとされ、たくさんの妾がいたことで有名です。そして土方もまた京都の夜の世界に通じていました。

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2024年上半期に、紙幣が一新されることになりました。その、一新される1万円札に印刷されるのが、今回紹介する「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」です。紙幣の、しかも一番高額な1万円札に印刷されるぐらい…

二人がこうした場所で交流していた証拠はありませんが、状況から考えると十分にありえます。

もしそうした関係があったとしても、夜の街での遊びが関わってきますから、自伝に書き残すような内容ではないでしょう。そのように考えると、渋沢が土方との交流についてあえて多く語らなかったこと自体も説明がつきます。

渋沢は公の場では誠実な人物として語られ、土方は武士としての厳しさを重んじました。色街での交友に関する話は、どちらにとっても後世に残したくない種類の出来事だったはずです。

それでも、渋沢が晩年に土方の名を聞いて反応を示したという息子の証言は、二人の間に確かな記憶があったことを示しています。

史料には残らないものの、渋沢の心の中には、幕末の京都で出会った土方歳三という人物の印象が強く刻み込まれていたのでしょう。

参考資料:
堀江宏樹『日本史 不適切にもほどがある話』三笠書房、2024年

 

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