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スピリチュアルに巨額浪費!戦国武将・武田信玄の実像は名将と真逆、隠された“金の亡者”の素顔とは

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信玄は天下を取れたのか?

さて、信玄は元亀三年、足利義昭の信長討伐令に応じて上洛を開始します。

この後、信玄が長生きしていれば天下を取れたのかという議論は、歴史ファンの間で今も続いていますね。

しかし、信玄の財政状況を見れば、天下を取ったとしてもそれを維持するのは難しかったと考えられます。

甲斐国の生産力は低く、重税によって領民は疲弊していました。宗教への過剰な支出も財政を圧迫し、信玄の統治は決して安定していたとはいえません。

信玄の名言とされる「人は城、人は石垣……」が本当に彼の言葉だったとしても、それは「人民こそ自分を守るための資源」という意味に近かった可能性があります。慈愛ではなく、実利の発想です。

江戸時代以降、信玄は「名君」として祭り上げられ、都合のよい逸話が盛られました。しかし、金銭に関する史料を読み解くと、その実像とイメージは大きくかけ離れていることが分かります。

彼は戦国最強の武将でありながら、財政難に苦しみ、重税によって領国を支えた人物でした。名将の影には、常に金の問題がつきまとっていたのです。

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参考資料:
堀江宏樹『日本史 不適切にもほどがある話』三笠書房、2024年

画像:Wikipedia,photoAC

 

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