「大化の改新」の本質はなんと“豪族の脱税”を止める徹底した財政改革だった:2ページ目
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大国を押し返す力に
さらに、国司制度と厳格な会計監査も脱税防止を支えました。
国司は4〜6年の任期で各地に派遣され、毎年「大計帳」「正税帳」「調帳」「朝集帳」を中央に提出します。
さらに現在の領収書にあたる返抄が発行され、収支は結解にまとめられ、国司交代時には未精算のものをすべて清算しなければなりませんでした。
現代の会計監査とほぼ同じ仕組みが、すでに古代に存在していたのです。
とはいえ、こうした制度改革を一気に行うには、豪族の力を削ぐ必要があります。豪族が私財を蓄えるのを防止するとなると、反発が起きるのは必至だからです。
特に蘇我氏は財政機関を握り、莫大な富を蓄えていたとされます。大化の改新で蘇我氏が排除されたのは、土地と税の国家管理を進めるための前提条件だったと考えられます。
改新の成果は、白村江の戦いにも表れています。
663年、日本は千艘の船と数万規模の兵を朝鮮半島に派遣しました。これは当時としては驚くべき動員力で、国家の財政と軍事の基盤が整っていたことを示しています。
敗北はしたものの、日本の国力を唐に示す結果となり、その後の本土侵攻を思いとどまらせた可能性があります。
大化の改新は、理想主義的な制度改革ではなく、国家の生存をかけた現実的な財政改革でした。
新制度の細部を見れば、その目的がどれほど切実で、どれほど徹底していたかがよくわかります。
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参考資料:大村大次郎『脱税の日本史』宝島社・2024年
画像:photoAC,Wikipedia
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