【豊臣兄弟!】あの“迷い”は史実の豊臣秀長への布石——なぜ小一郎は戦に向かった?直が突きつけた問い:2ページ目
武将・信長 VS百姓・小一郎
藤吉郎の粗末な借家で新生活を始めた豊臣兄弟。
藤吉郎は、15年前に戦で死んだ父親・弥右衛門の仇が、織田家の家臣で槍の名人・城戸小左衛門(加治将樹)であること、戦になったらどさくさに紛れて彼を討とうということを打ち明けます。
そして、永禄3年(1560)5月。およそ2万5000の大軍を率いて、今川義元(大鶴義丹)が尾張を目指しているという知らせが。軍議が開かれるも「何もせぬ」という織田信長(小栗旬)。
戦にならないと敵討ができません。藤吉郎は、清洲城に出向いて信長に「出陣をしないのか」と尋ねるも、「勝つ方法を教えてくれ」と問われ黙り込みます。
と、思いきや、「小一郎申し上げよ!」と相変わらず返答に困るとすぐ弟にムチャぶりする兄っぷり。仲野大河さんの「え!?」」という表情は笑ってしまいます。
しゃがみ込んで「苦しうない、もうせ」と信長にねめつけられ強烈な圧をかけられつつも「それは……勝つすべなどないかと」と、正直に言葉にしてしまいます。
ついで、信長の目を見詰め「ですが、負けぬことならできるやも知れませぬ。和睦なされませ」と。
「今川とてわざわざ血を流すことは望んでいない。我らが争えば時も金もかかることは明白。それよりは和睦を受け入れたほうがよい」……と信長の顔色を伺いながらハラハラする兄を尻目にはっきりと意見を述べます。
「戦いは好まない。皆が平和のほうがいい。だから合理的な解決を」という、のちの秀長らしさを感じる場面。いざ戦いに直面し臆病風に吹かれたわけではないでしょう。
史実では、はっきりとしたことは不明な部分も多いようですが、冷静沈着・温厚で寛大・計画的という人物像が伝わる秀長。
戦はまだ未体験とはいえども、野盗による殺戮を目の当たりにしてきた小一郎。“死と隣り合わせの現実を知る冷静さ”からきたごく当たり前の考えかと思います。
けれども、武将である信長の叱責も当然。戦国時代を生きるには、「命を懸ける覚悟」を求める厳しさも必要でしょう。
そんな武将ある覚悟を知らぬかのように見える小一郎の「和睦」の言葉は信長を激昂させてしまいました。またもや、信長にいきなり殴られる小一郎。
