新選組トップ・芹沢鴨はなぜ隊内で暗殺された?史料から見える、組織の都合で作られた悪人像:3ページ目
クーデターとしての暗殺
また芹沢の蛮行として押借も挙げられます。押借とは力ずくで金を借りるといういわば恐喝なのですが、これも芹沢個人の暴挙というよりも新選組全体の資金調達手段でもありました。
実際のところ、それで新選組の資金繰りは良くなっていたのです。
ということは、近藤勇や土方歳三も関与していた可能性があり、組織全体の責任とも言えるでしょう。
しかし、近藤勇や土方歳三を小説やドラマの主人公として活躍させるためには、前組織の経営者は悪人でなければ困ります。そんなことから、実際以上に芹沢の行為が誇張されていった可能性があるのです。
そして芹沢は暗殺されます。
新選組では乱暴狼藉を働いた隊士は切腹が原則でした。実際、新見錦という隊士は切腹させられています。
しかし芹沢は切腹ではなく暗殺されました。これは単なる懲罰ではなく、指導者の交代を目的としたクーデターに近いものだったと言えるでしょう。
なぜ芹沢は排除されなければならなかったのでしょうか。それは芹沢の思想にあります。水戸学に基づく尊王攘夷思想は、幕府を支える会津藩や近藤派の方針と相容れませんでした。
よって芹沢は組織運営上、厄介な存在になっていたのです。清河八郎が排除されたのと同じように、芹沢も排除することで、新選組は「幕府派」としての質的転換を図ったのでしょう。
芹沢暗殺は、新選組が会津藩と歩調を合わせるための組織改革であり、思想的対立が大きな要因だったのです。
実際の芹沢は、酒癖が悪くて粗暴な面はあったかもしれません。しかし、むしろ要人警護のプロフェッショナルとして、また組織の顔として行動していた可能性も高いです。
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参考資料:
浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:photoAC,Wikipedia


