【豊臣兄弟!】で近々描かれる「桶狭間の戦い」少数の織田軍が奇襲で勝利…がほぼ創作といえる理由:3ページ目
桶狭間は、諜報・謀略を駆使する信長戦術の原点
さて、今川義元が「東海一の弓取り」と称されるほどの名将であったことは疑いありません。ようやく尾張統一を成し遂げたばかりの信長とは、当時において武将としての格に大きな差があったと言っても過言ではないでしょう。
では、そのような義元に対し、なぜ信長は勝利を収めることができたのでしょうか。その要因として挙げられるのが、刻一刻と変化する今川軍の動向に対し、信長が臨機応変に対応した戦術が的確に機能した点です。
そして、その背景には信長が構築していた諜報ネットワークの存在があったと考えられます。別稿で詳述しますが、その諜報網の一部には、若き日の秀吉も加わっていた可能性があったのではと思われるのです。
さらに信長がこのような戦術を駆使し得た背景には、両軍の戦力がほぼ拮抗していたことに加え、信長が“迎え撃つ側”であったという有利な立場がありました。
すなわち、遠征軍である今川勢に対し、信長は自領の防衛に専念すればよかったのです。隅々まで知り尽くした自らの領内という“土俵”で正面から戦えたことは、信長にとってきわめて大きな強みとなりました。
ちなみに「桶狭間の戦い」以降、信長は自軍の兵力が相手より劣るような戦いは一度もしていません。
諜報や謀略によって情勢を慎重に見極め、勝機と判断すれば、相手を大きく上回る兵力を一気に投入し猛スピードで滅亡に追い込む。信長は、「勝つべくして勝つ」戦いを積み重ねていくことになるのです。
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※参考文献
谷口克広著 『織田信長合戦全録:桶狭間から本能寺まで』中央新書
黒田基樹著 『羽柴を名乗った人々』角川文庫



