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「べらぼう」瀬川が登場!写楽=斎藤十郎兵衛説 採用、蔦重が遺したもの…最終回の内容を解説

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わだかまりが解けた歌麿

斎藤十郎兵衛を写楽に入れるかどうか?最後の決定権を委ねられた歌麿(染谷将太)は言います。

自分が一番骨を折ったと言っても、(みんなの画風を採り入れているため)自分の絵じゃないみたいだし、みんな写楽でいいのではないかと。

これまで「鬼の子」として忌避・疎外されてきた歌麿ですが、写楽としてみんなの仲間に入れてもらえたことで、トラウマが解消できたようです。

蔦重を「義兄(にい)さん」、おていさんを「義姉(ねえ)さん」と呼んだあたりに、その清々しさを感じられました。

このわだかまりが解けた瞬間を描きたいために、脚本は写楽=複数絵師説を盛り込んだのでしょうか。

蔦重、硬軟併せ持った本屋に

蔦重は本居宣長(北村一輝)の著作『玉くしげ』を手に取り、新たな商機を見出しました。さっそく伊勢国は松坂まで面会に行きます。

国粋主義者の本居宣長は写楽の絵を「異国かぶれ」と切り捨て、蔦重との連携を断りますが、松平定信(井上祐貴)からの文を読むと様子が変わりました。

為政者に好都合な儒学の「べき論」ではなく、身の上に生じるすべてを「もののあはれ」と受け容れる日本人の豊かな感性と精神を伝える和学を江戸に広めたい……こうして蔦重は本居宣長をも誑しこみ、硬軟併せ持った本屋として成長を遂げていったのです。

また帰り道中、尾張・三河(愛知県)らしき地域に立ち寄った際、黄表紙読者から「すぐに終わってしまってつまらない」という意見を耳にします。

これがキッカケとなり、江戸に帰った蔦重は馬琴(津田健次郎)と一九(井上芳雄)に長編作品を書くよう働きかけました。やがて馬琴は『南総里見八犬伝』、一九は『東海道中膝栗毛』を生み出したのです。

3ページ目 二人で見つめる彼女の背中

 

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