大河『豊臣兄弟!』秀吉が唯一信じた男!豊臣秀長が「天下一の補佐役」と称された理由【後編】:2ページ目
上級武家にとって弟は脅威になりかねない存在
もし秀吉が秀長を単なる弟としてしか見ていなかったなら、何かの失態に乗じて除かれていた可能性もあったでしょう。というのも、大名など上級武家の世界では、兄にとって弟はしばしば排除すべき脅威とみなされていたからです。
武家社会は家父長制を基盤として成立しており、家のトップはただ一人というのが原則でした。権力はその人物に集中し、それゆえトップダウン型の管理体制が整えられます。しかし、家中にトップである兄と同等、あるいはそれ以上に有能な弟がいれば、この原則が揺らぎかねません。こうした構図が、兄弟間の権力争いをしばしば引き起こしたのです。
歴史を振り返れば、織田信長と信行、徳川家光と忠長、源頼朝と義経、伊達政宗と小次郎、大友宗麟と塩市丸など、例を挙げればきりがありません。彼らは容赦なく弟を死に追いやっています。
その一方で、兄を一途に支え続けた弟というのは極めて少なく、武田信玄と信繁、そして豊臣秀吉と秀長が代表的な例といえるでしょう。こうした兄弟関係はきわめて特異で、彼らは一対一の深い信頼で結ばれ、互いを心の底から信じていたのです。
以前、Japaaanの記事(「大河『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長以外は皆殺し…秀吉が兄弟姉妹に課した残虐な仕打ちの数々」)でも紹介した通り、秀吉は天下統一後、大坂城に自分の弟だと名乗って訪ねてきた若者を、面会すらせずに斬首しています。
この若者が本当に弟であったとしても、秀吉にとっては正体の知れない存在であり、いつ牙をむくか分からない危険人物と見なしたのでしょう。秀吉の行為は、単なる残虐性によるものではなく、「家」を守るために下した政治的判断だったのです。

